2月中旬の週末、春の陽気に包まれた武蔵野一帯をポタリング。
暖かい日が続いたこの時期、ネコヤナギの芽も柔らかくほころんでいた。

多磨霊園の正門から大通りを進むと、規模が大きく立派な墓石が二つ並んでいる。
東郷平八郎と山本五十六の墓だ。
こちらは、日本海海戦を見事勝利に導いた連合艦隊司令長官、東郷平八郎。

霊園内をあちこち廻ってみると、三脚にカメラを据えた人たちが集まっている。
雑木林に集まる野鳥を撮影しているんだそうだ。どんな鳥を見られるのだろうか。

馬場大門のケヤキ並木を辿り、京王線を横切るとすぐに大國魂神社の大鳥居に出る。

武蔵の国一帯の神社を束ねる「武蔵総社」である大國魂神社は、
111年(景行天皇41年)の創建と伝えられる。
随神門、中雀門をくぐって、参道を進むと現れる拝殿は、
由緒の正統性を物語るように、どっしりとした重厚さを漂わせている。

お鷹の道を歩き、真姿の池湧水群を抜けると、ほどなく国分寺にぶつかる。
国分寺の前には、厄除けの札などがあちこちに貼られた古い楼門。

武蔵国分寺は焼失し、現在の本堂は昭和62年に改築されたものだとか。
境内の万葉植物園では、花や草木にちなんだ万葉集の歌が記されている。
トップのネコヤナギの写真は、ここで撮影したもの。

更に西に向かってペダルを漕ぐと国立駅に出た。
街路樹が美しい大学通りは、自転車を降りて歩く。鳥の声が賑々しい。
歩いていると、懐かしい中国料理の店「万豚記(わんつぅちぃ)」を見つけた。
同じ店が八王子にもあり、以前はよく通ったもの。

再び自転車にまたがり南武線を横切ると谷保天満宮だ。

参道を抜け、境内に入る手前に梅園があったので、休憩がてら暫し散策。

種類はわからないが、ちょっとおしゃれなニワトリが2羽、梅園を闊歩していた。

細長い境内。折しも受験シーズンのため、合格祈願の絵馬が鈴なり。

日野宿本陣。日野宿は、多摩川の渡し場を管理する重要拠点だったそうだ。

東京出張中、愛車ルイガノ君は、わが家で妻とともに留守番していました。
職場で借りたママチャリは、坂道や向かい風には滅法弱く、
国分寺や日野のアップダウンになると、途端にヘタってしまいます(笑)
うららかな陽気の下、武蔵野ポタリングの旅でいい汗をかいた一日でした。
(これで、500kcalくらいは消費できたでしょうか・・・・)
暖かい日が続いたこの時期、ネコヤナギの芽も柔らかくほころんでいた。

多磨霊園の正門から大通りを進むと、規模が大きく立派な墓石が二つ並んでいる。
東郷平八郎と山本五十六の墓だ。
こちらは、日本海海戦を見事勝利に導いた連合艦隊司令長官、東郷平八郎。

霊園内をあちこち廻ってみると、三脚にカメラを据えた人たちが集まっている。
雑木林に集まる野鳥を撮影しているんだそうだ。どんな鳥を見られるのだろうか。

馬場大門のケヤキ並木を辿り、京王線を横切るとすぐに大國魂神社の大鳥居に出る。

武蔵の国一帯の神社を束ねる「武蔵総社」である大國魂神社は、
111年(景行天皇41年)の創建と伝えられる。
随神門、中雀門をくぐって、参道を進むと現れる拝殿は、
由緒の正統性を物語るように、どっしりとした重厚さを漂わせている。

お鷹の道を歩き、真姿の池湧水群を抜けると、ほどなく国分寺にぶつかる。
国分寺の前には、厄除けの札などがあちこちに貼られた古い楼門。

武蔵国分寺は焼失し、現在の本堂は昭和62年に改築されたものだとか。
境内の万葉植物園では、花や草木にちなんだ万葉集の歌が記されている。
トップのネコヤナギの写真は、ここで撮影したもの。

更に西に向かってペダルを漕ぐと国立駅に出た。
街路樹が美しい大学通りは、自転車を降りて歩く。鳥の声が賑々しい。
歩いていると、懐かしい中国料理の店「万豚記(わんつぅちぃ)」を見つけた。
同じ店が八王子にもあり、以前はよく通ったもの。

再び自転車にまたがり南武線を横切ると谷保天満宮だ。

参道を抜け、境内に入る手前に梅園があったので、休憩がてら暫し散策。

種類はわからないが、ちょっとおしゃれなニワトリが2羽、梅園を闊歩していた。

細長い境内。折しも受験シーズンのため、合格祈願の絵馬が鈴なり。

日野宿本陣。日野宿は、多摩川の渡し場を管理する重要拠点だったそうだ。

東京出張中、愛車ルイガノ君は、わが家で妻とともに留守番していました。
職場で借りたママチャリは、坂道や向かい風には滅法弱く、
国分寺や日野のアップダウンになると、途端にヘタってしまいます(笑)
うららかな陽気の下、武蔵野ポタリングの旅でいい汗をかいた一日でした。
(これで、500kcalくらいは消費できたでしょうか・・・・)