Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

旅の日記(2)

2008年10月09日 | 音楽
 最終日はパリだった。夕方、プラハからパリに着いて、皆さんは買い物やナイトショーで自由時間を過ごしたが、私はコンサートに行った。折からハンガリーのブダペスト祝祭管弦楽団が来ていて、音楽監督のイヴァン・フィッシャーの指揮でマーラーの交響曲第3番を演奏した。会場はサル・プレイエル。プラハのドヴォルザーク・ホールのような古風でアナログ的な音ではなく、かといって日本で近年建てられている多くのホールのような最新式のデジタル的な音でもなく、その中間をいく素直でききやすい音だった。このホールは2年前に改修されたばかりだが、その際に音も改善されたのだろう。

 私はブダペスト祝祭管弦楽団をきくのは初めてで、その優秀さに強い印象を受けた。実にシャープで意欲的な演奏をする。前日のチェコ・フィルがローカルな色合いを強めているのに対して、こちらは明らかにインターナショナル志向だ。

 オーケストラのそのような性格に加えて、指揮者のイヴァン・フィッシャーの個性もあって、かれらの演奏するマーラーは、リズムが粘らず、緊張の糸が張り詰めた、鋭角的な踏み込みのマーラーだった。私は同じハンガリー人の指揮者ショルティを思い出した。ショルティのような腕力の強さはないにしても、必要なときには壮大な音を鳴らす、引き締まった、即物的な演奏スタイルは共通していた。国際化が進んでいる音楽界にあって、ハンガリー人の指揮者の伝統が感じられることが、かえって面白かった。

 ただこの日は、仕事の予定がすべて終わってホッとしたのか、あるいは疲れが出たのか、睡魔におそわれがちだった。ときどき無意識の世界に吸い込まれそうになりながら、早くホテルに帰ってビールを飲みたいと思っていた。だから演奏にかんしては、あまり偉そうなことは言えない。

 会場を出てから凱旋門まで歩いてみた。凱旋門は明るくライトアップされ、夜も遅いのにまだ大勢の観光客が集まっていた。円を描いてぐるぐる回る車のライトがあたりを照らす。パリはなんて明るいのだろうと思った。それに比べて、プラハはどこかに影をかかえていた。
 地下鉄でホテルに帰って、待望のビールを飲んだ。とたんに元気になった。
(2008.10.04.パリ「サル・プレイエル」)

付記
 メゾソプラノ独唱はビルギット・レンメルト、合唱はパリ児童合唱団とパリ聖歌隊だった。
コメント
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