Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

帝国オーケストラ

2008年11月10日 | 映画
 昨日の東京は、小雨のふる寒い日曜日だった。私は、傘をさしながら、渋谷の映画館に向かった。今上映中のドキュメンタリー映画「帝国オーケストラ」をみるためだ。この映画は、ヒトラーが政権をとった1933年から敗戦の1945年までのベルリン・フィルを、当時の団員であった生存者二人の証言を中心にして描いている。淡々としたトーンの映画だったが、一夜明けた今もその余韻が残っている。

 証言をした二人は、現在96歳の元ヴァイオリン奏者と、同じく86歳の元コントラバス奏者だ。二人の語ることは、一切のディテールを省くなら、当時の自分たちは政治的には未熟だった、自分たちは積極的にナチスに加担したことはない、自分たちの演奏する音楽は、それをきく人びとに、当時のひどい混乱を一時忘れさせることができたはずだ、ということだ。
 私は二人の良心を疑わないが、だんだん暗澹たる思いになった。これは今でも繰り返されている私たちの一般的な態度なのではないかと思ったからだ。ある一つの集団の中にいて、自らは無名の存在になることによって身を守り、外部で進行している不正、暴力に目を覆う。そのことが不正、暴力を助長する。

 また、この映画では当時の記録映像がふんだんに盛り込まれていて、それらも興味深かった。とくに私が驚いたことは、当時は毎年ヒトラーの誕生日に式典が催され、ベルリン・フィルが祝賀演奏をしていたことだ。フルトヴェングラーがベートーヴェンの「第九」を指揮し、演奏終了後万雷の拍手をうけながら、ナチスの宣伝大臣ゲッベルスと固い握手を交わしている映像は、やはりショックだった。フルトヴェングラーのナチス体制下の行動は、今では擁護される傾向にあるが、このような映像をみると複雑な思いがする。

 ほんとうは、この問いは控えておきたいのだが、あえていうと、音楽とはなんだろうかと考えてしまった。私は音楽が好きで、音楽は人生そのものだから、音楽に罪はないと考えたい。もっとセンチメンタルにいうなら、音楽は利用されただけだと考えたい。けれども、ほんとうにそうなのだろうか。
 上述の老ヴァイオリン奏者が、負傷兵の収容施設で慰問演奏したことを回想するシーンがある。娘か看護師かわからないが、大柄の女性に支えられながら、今でも残っている荒廃したその施設を訪れて当時を語る姿は、苦渋に満ちていた。
 そのときの演奏は、負傷兵を慰めただろう。それも音楽だ。だが、ファシズム礼賛に一役買った事実も消しがたい。

 この映画は2007年のベルリン・フィル創立125周年の記念式典で上映されたという。ドイツ人の過去の意味を問い続ける姿勢に救いを感じる。
 昨日、私がみたときの映画館の観客の入りもわるくなかった。私の整理番号は62番だったので、おそらく80人くらいは入っていたのではないか。こんなに地味で暗い映画に多くの人が集まってくることに希望を感じる。
(2008.11.09.ユーロスペース)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする