国立新美術館とサントリー美術館でピカソ展がひらかれている。ピカソはやっぱり気になる。会期末がせまってくるなか、強引に時間をつくって行ってきた。サントリー美術館は午後8時まで開館しているので助かる。
ピカソは、周知のように、青の時代、バラ色の時代、キュビスムの時代(これはさらに細分化される)、新古典主義の時代、シュールレアリスムの時代、「ゲルニカ」に代表される戦中の時代、自由な作風の戦後の時代と変遷をたどるが、不思議なことに、どの美術館に行ってもピカソの絵があれば、それがどの時代の作品であれ、すぐに眼に飛び込んでくる。それだけの強さがあるということだろう。
もっとも、今回私は、これほど変遷が激しいと、画家自ら個々の作風を相対化するように感じた。私たちは、画家を絶対化できずに、自分にとってはどれが意味があるのかを、あるいは、まったく意味がないのかを自問するようになる。
私の場合は、以前は、深い悲しみに沈んだ青の時代にひかれていた。次に、一時的ではあったが、ブラックときわめて似かよったころのキュビスムの時代にひかれていたこともある。けれども今回は、古代の石像のような量感のある新古典主義の時代が面白かった。私自身も変わるのだ。そして今後も変わるだろう。
ピカソの画家としての力量は明らかだし、野心もあった。少なくとも第二次世界大戦までの変遷は、成功のための賭けのようにもみえる。ピカソの天才的なところは、その賭けに全勝した点だ。ピカソはビッグネームになった。あり余るほどの名声と金を手に入れた。その軌跡は私にとってどのような意味があるのだろう。
サントリー美術館の最後の展示作品の「若い画家」の前まで来たとき、私はハッとした。つばの広い帽子をかぶり、手に絵筆をもった少年が、無垢な目でこちらを見ている。しかしその輪郭はかすれていて、今にも消えていくようだ。これは人生にAdieu(さようなら)を言うときの作品ではないかと思った。
会場を出ながら、私は、あれは魂が肉体から離れていくときに見える幻影なのだろうか、それとも、ピカソが残した絵画の新生の望みだったのだろうかと考えていた。
(2008.12.01.国立新美術館、12.03.サントリー美術館)
ピカソは、周知のように、青の時代、バラ色の時代、キュビスムの時代(これはさらに細分化される)、新古典主義の時代、シュールレアリスムの時代、「ゲルニカ」に代表される戦中の時代、自由な作風の戦後の時代と変遷をたどるが、不思議なことに、どの美術館に行ってもピカソの絵があれば、それがどの時代の作品であれ、すぐに眼に飛び込んでくる。それだけの強さがあるということだろう。
もっとも、今回私は、これほど変遷が激しいと、画家自ら個々の作風を相対化するように感じた。私たちは、画家を絶対化できずに、自分にとってはどれが意味があるのかを、あるいは、まったく意味がないのかを自問するようになる。
私の場合は、以前は、深い悲しみに沈んだ青の時代にひかれていた。次に、一時的ではあったが、ブラックときわめて似かよったころのキュビスムの時代にひかれていたこともある。けれども今回は、古代の石像のような量感のある新古典主義の時代が面白かった。私自身も変わるのだ。そして今後も変わるだろう。
ピカソの画家としての力量は明らかだし、野心もあった。少なくとも第二次世界大戦までの変遷は、成功のための賭けのようにもみえる。ピカソの天才的なところは、その賭けに全勝した点だ。ピカソはビッグネームになった。あり余るほどの名声と金を手に入れた。その軌跡は私にとってどのような意味があるのだろう。
サントリー美術館の最後の展示作品の「若い画家」の前まで来たとき、私はハッとした。つばの広い帽子をかぶり、手に絵筆をもった少年が、無垢な目でこちらを見ている。しかしその輪郭はかすれていて、今にも消えていくようだ。これは人生にAdieu(さようなら)を言うときの作品ではないかと思った。
会場を出ながら、私は、あれは魂が肉体から離れていくときに見える幻影なのだろうか、それとも、ピカソが残した絵画の新生の望みだったのだろうかと考えていた。
(2008.12.01.国立新美術館、12.03.サントリー美術館)