Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ドン・カルロ

2009年09月14日 | 音楽
 ミラノ・スカラ座の来日公演のヴェルディのオペラ「ドン・カルロ」。イタリア語、4幕版。指揮は近年評判のダ二エレ・ガッティ、演出および舞台装置はシュテファン・ブラウンシュヴァイク。私がみたのは12日(土)の公演。

 第1幕で王子ドン・カルロ(ラモン・ヴァルガス)と親友ロドリーゴ(ダリボール・イェニス)が友情を誓い合う場面は、意外に盛り上がらない。その後、ドン・カルロとエリザベッタ(ミカエラ・カロージ)の再会の場面では、お互いの気持ちを探りあう緊張した部分はよかったが、抑えられていた2人の心情が堰を切ってほとばしる部分では、熱いものが伝わってこない。

 結局、第1幕で感じたこのようなことは、オペラの最後まで続いた。抑制された緊張の場面はよいのだが、血の気の多い場面は、なにかが邪魔をして、発散されない――これは、歌手のためであるよりは、指揮者のためであるようだ。ガッティの指揮をきくのははじめてだが、この人には熱狂に向かって自らを解き放つことを抑える傾向がある。

 歌手では国王フィリッポ二世のルネ・パーペが抜群だった。虚無的で、人間にたいする信頼を一切失った、孤独な権力者としての存在感。その存在感のゆえに、自分とは対極の資質をもっていて、ほんらいは憎悪すべき理想主義的なロドリーゴを唯一の腹心にするという逆説を、この公演は結果として感じさせた。

 エボリ公女のドローラ・ザージックは、声は出ているが、演技が棒立ちで、野心にみちた驕慢な性格を表現できていなかった。
 宗教裁判長のアナトーリ・コチェルガは、押し出しはよいのだが、もっと冷たさがあってもよかった。

 ブラウンシュヴァイクの演出は、基本的にはオーソドックスな解釈だが、変わっている点は、ドン・カルロ、ロドリーゴ、エリザベッタの3人に、それぞれ分身となる子役を配していたこと。3人の子役は、かれらの少年時代、少女時代の純情を表現していた(もっとも、今になると、そこまで説明されなくても、という気がしないでもない)。

 ブラウンシュヴァイクは舞台装置も担当。第3幕冒頭のフィリッポ二世の独白の場面では、居室を牢獄のような白一色の部屋にして、殺伐とした心象風景の視覚化に成功していた。一方、随所で若き日のドン・カルロとエリザベッタの出会いの地、フォンテンブローの森を背景に写したことは、だんだんくどいように感じられてきた。

 このようなわけで、上演全体としては、ちぐはぐな印象をぬぐえなかった。
(2009.09.12.東京文化会館)
コメント (1)
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