松戸市立博物館で開催中の「躍動する魂のきらめき――日本の表現主義」展をみてきた。2009年に全国各地を巡回し、12月からは同館で開催されている。美術評論家の高階秀爾氏が朝日新聞紙上で2009年のベスト3にあげて話題になった展覧会。
同展は1910年代から1920年代までの日本の「表現主義」的な動向を見定めようとするもの。大雑把にいって、明治維新以来、西洋の制度・文化を移入してきた日本が、やっと一応の達成を見たころに、いち早くそれを突き崩そうとする動きが起きた――ということらしい。当時の社会のダイナミズムが感じられる。
それが内的な側面だったとすれば、外的な側面もあった。当時のヨーロッパ(とくにドイツ)では表現主義が流行し、それが流れ込んだということ。私はドイツの表現主義の絵画や彫刻が好きなので、当時、ほぼリアルタイムで日本に流れ込んでいたという事実に驚いた。
概括的な感想を先にいうと、表現主義とはいっても、日本の場合はドイツのように一定の様式をもったものではなく、各人がそれぞれ勝手にやっていたもの――それは現実の混沌そのもの――だと思った。
個別の作品でいうと、甲斐庄楠音(かいのしょう・ただおと)という画家の「裸婦」に注目した。これは日本画だが、一瞬洋画かと思うような筆致で、画面いっぱいに豊かな肉体が描かれている。上気した頬と切羽詰ったような表情。官能的だが、それは男性の視線を意識したものではなく、内からの生命のほとばしりのように感じられた。
完成度の高さでは、関根正二の「子供」が筆頭だと思われた。満20歳で亡くなった天才画家の、亡くなった年の作品。感性あふれる描線と高い精神性――背景の淡い青色は澄んだ諦観さえ感じさせる。
萬鉄五郎(よろず・てつごろう)の「風船をもつ女」は、釘でひっかいたような何本もの斜線が乱雑に飛びかう構図。向かって右からは緑色、左からは黄色が押し寄せるその只中に、紫色の着物をきた女がいる。手には赤い風船、横には大きな電灯。展示作品の中でいちばん表現主義らしい作品はこれか――。
国公立の美術館が動員数を重視するようになり、興行的な企画が増える現状にあって、問題提起型のこのような企画が実現したことは新鮮だ。高階秀爾氏も同展の関係者を励ます意味でこれをベスト3に選んだにちがいない。
(2009.1.10.松戸市立博物館)
同展は1910年代から1920年代までの日本の「表現主義」的な動向を見定めようとするもの。大雑把にいって、明治維新以来、西洋の制度・文化を移入してきた日本が、やっと一応の達成を見たころに、いち早くそれを突き崩そうとする動きが起きた――ということらしい。当時の社会のダイナミズムが感じられる。
それが内的な側面だったとすれば、外的な側面もあった。当時のヨーロッパ(とくにドイツ)では表現主義が流行し、それが流れ込んだということ。私はドイツの表現主義の絵画や彫刻が好きなので、当時、ほぼリアルタイムで日本に流れ込んでいたという事実に驚いた。
概括的な感想を先にいうと、表現主義とはいっても、日本の場合はドイツのように一定の様式をもったものではなく、各人がそれぞれ勝手にやっていたもの――それは現実の混沌そのもの――だと思った。
個別の作品でいうと、甲斐庄楠音(かいのしょう・ただおと)という画家の「裸婦」に注目した。これは日本画だが、一瞬洋画かと思うような筆致で、画面いっぱいに豊かな肉体が描かれている。上気した頬と切羽詰ったような表情。官能的だが、それは男性の視線を意識したものではなく、内からの生命のほとばしりのように感じられた。
完成度の高さでは、関根正二の「子供」が筆頭だと思われた。満20歳で亡くなった天才画家の、亡くなった年の作品。感性あふれる描線と高い精神性――背景の淡い青色は澄んだ諦観さえ感じさせる。
萬鉄五郎(よろず・てつごろう)の「風船をもつ女」は、釘でひっかいたような何本もの斜線が乱雑に飛びかう構図。向かって右からは緑色、左からは黄色が押し寄せるその只中に、紫色の着物をきた女がいる。手には赤い風船、横には大きな電灯。展示作品の中でいちばん表現主義らしい作品はこれか――。
国公立の美術館が動員数を重視するようになり、興行的な企画が増える現状にあって、問題提起型のこのような企画が実現したことは新鮮だ。高階秀爾氏も同展の関係者を励ます意味でこれをベスト3に選んだにちがいない。
(2009.1.10.松戸市立博物館)