Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

マーラー交響曲第7番

2010年02月26日 | 音楽
 読売日響がマーラーの記念年(2010年は生誕150年、2011年は没後100年)にちなんで「マーラー・イヤー・プログラム」をスタートさせている。第1回は1月定期の交響曲第1番で、指揮者はマリン・オルソップだった。第2回は2月定期の交響曲第7番で、指揮者はレイフ・セゲルスタム。

 第7番はマーラーの交響曲の中では今もなお未開拓の領域を残す作品だ。その理由は第5楽章(最終楽章)の解釈が難しいから。第2楽章と第4楽章はマーラーがみずから「夜曲(Nachtmusik)」と名づけたように、夜の親密さに覆われていてわかりやすい。その中間の第3楽章は怪奇な幻影が跳躍する悪夢の世界になっていて、これも夜というキーワードで理解できる。ところが第5楽章になると突然、明るい昼の世界になり、躁状態のお祭り騒ぎになる。これはなんだろうと戸惑ってしまう――。

 そこで古今の学者や評論家が、さまざまな解釈を唱えてきた。その概要は、私のようなたんなる愛好家でも、Wikipediaで簡単に知ることができる。思えば、便利な時代になったものだ。

 で、当日の演奏では、この楽章はどうきこえたか。
 私にはこれが、Wikipediaで紹介されているような、苦悩をへて歓喜にいたる伝統的な図式の否定だとか、あるいはメタ・ミュージック(音楽についての音楽)だとかというききかたはできなかった。そういうききかたは高踏的すぎるように感じた。

 もっともここにはなにか隠された意図があることも確かだった。それはなんだろうと考えていたら、前作の交響曲第6番の第4楽章が頭に浮かんだ。巨大な木製のハンマーまで持ち出して、闘争の末の敗北(=死)を描いたあの楽章を、これはひっくり返そうとしたのではないかと感じた。そうすることによって、あの楽章を相対化しようとしたのではないか。そうする必要がマーラーにはあったのではないか――。

 当日の演奏では、第1楽章冒頭のテノール・ホルンが明瞭な輪郭線をもって吹かれ、その後もことさら夜の雰囲気にこだわらずに、明快なリズムが続いた。第3楽章では柔軟なリズムが見事だった。第5楽章ではいたずらに狂騒的な演奏に陥ることを避けて、ある一定の音楽的なのりを越えないように努めていた。

 今までに何度もきいた曲ではあるが、この日の演奏は過剰なものを排して、スコアを真正面からあるがままに鳴らした演奏だった。その結果、私にはなにか確かなものが残った実感があった。
(2010.2.19.サントリーホール)
コメント (4)
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