Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

オテロ

2012年04月15日 | 音楽
 知人を誘って新国立劇場の「オテロ」を観に行った。知人の都合で平日のマチネー公演を観た。この日は最終日だった。そのせいかどうか、意外に空席が目立った。大体こんなものかもしれないが、はっきりいって、今のこの劇場の低調ぶり――オペラ部門のテンションの低さ――を象徴しているように感じられた。

 個々の歌手はわるくなかった。オテロのヴァルテル・フラッカーロは高度な様式感を身に付けた歌手だ。パワーで押すタイプではない。デズデーモナのマリア・ルイジア・ボルシは昨年の「コジ・ファン・トゥッテ」でフィオルディリージを聴いたばかりだが、デズデーモナのほうがはまり役だ。イアーゴのミカエル・ババジャニアンは、イアーゴの狡猾さを表す目の演技がすばらしい。

 指揮のジャン・レイサム=ケーニックは何年も前に都響を振っていた時期がある。よい指揮者だと思ったが、いつの間にか出なくなった。今回は久しぶりだ。さすがにもうロマンスグレーになったが、きびきびした音楽の運びは昔の面影を残している。

 マリオ・マルトーネの演出は、こんなに何もやっていない演出だったか。人物の出入りはそれなりに整理されているが、ドラマの内実は空疎だ。初演のときはもうちょっとドラマがあった気がする。今回は再演なので、細かい肉付けが落ちてしまったのか。せっかくの「オテロ」だが、これでは意気が上がらない。

 ところで、客席に座って、ふと思い出したことがある。このオペラにはショスタコーヴィチの交響曲第5番の第1楽章のコーダとそっくりな部分がある。おそらくショスタコーヴィチが自作にこっそり織り込んだのだろう。そこをしっかり聴いてみようと思った。

 第3幕の前半、嫉妬に狂ったオテロがデズデーモナを問い詰め、そして追いだした後のモノローグの場面。「さあ、来た」と思って字幕を見た。やはりというべきか、そこには驚くべき歌詞があった。それは――、

 「神よ!あなたは私に惨めで――恥ずべき不幸のすべてをお与えになった。私が大胆に戦って得た戦利品を災とも――幻ともされた……そして私は苦しみと恥の残忍な十字架を背負わねばならぬのです、落着いた顔を作り、天の御意に忍従して。」(海老沢敏氏の訳。改行は省略。音楽之友社の名作オペラブックス17「オテロ」。)

 当時、プラウダ批判を受け、粛清の恐怖さえあったショスタコーヴィチの心境が痛々しく表されている。
(2012.4.13.新国立劇場)
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