Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

カンブルラン/読響

2012年04月17日 | 音楽
 カンブルラン/読響の4月定期は、ドビュッシーの生誕150年という軸と、バレエ音楽という軸の2本の軸をもつプログラムだった。いつもながら魅力あるプログラムを提供してくれるものだ。

 1曲目は「牧神の午後への前奏曲」。冒頭のフルート・ソロがそっと呟くように演奏された。以降、終始一貫してソットヴォーチェの演奏。静かで淡々とした演奏だ。後半のクライマックスで弦が奏でる旋律も、朗々と歌うのではなく、抑えた表情だ。もっと官能的であってもよいのに、と思わないでもなかった。

 でもこれには理由があるのではないか、と思い直した。満津岡信育(まつおか・のぶやす)氏のプログラムノーツによれば、ドビュッシーはそもそも、前奏曲、間奏曲、パラフレーズ(終曲)の連作として構想していたとのこと。結局、前奏曲しか完成されなかったが、あくまでもこれは前奏曲であって、この後にマラルメの詩が朗読されるわけだ。なので、マラルメを先取りして、雄弁に語り過ぎてはいけないわけだ。

 この曲が、マラルメの詩そのものであるかのように、官能的な世界を語るのは、ロシア・バレエ団のニジンスキーの影響かもしれない。本来はカンブルランの解釈のような音楽かもしれない――と思った。

 2曲目はバレエ音楽「おもちゃ箱」。「遊戯」の後の作品だが、「遊戯」のような抽象性の高い音楽ではなく、輪郭のはっきりした音楽だ。プロローグから始まって全4場、そしてエピローグが続くが、まるでアニメを見ているような感じがした。人間の肉体という制約から解放されて、音楽が自由に呼吸し、動き回っている感じだ。これはドビュッシーの音楽がそうだからというよりも、カンブルランの指揮がそうだったからだ。

 3曲目はストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」(1947年版)。アニメを見るような自由な動きは「おもちゃ箱」と同様で、しかもこの曲になると、照度が一気に10~20パーセントも上がったような明るい音色になった。音がまるで光の粒子のように感じられた。それらの粒子がオーケストラのなかを自由に飛び交っているようだった。

 これはわたしにとっては、少なくとも今のところは、今年のベストパフォーマンスだ。もしかするとこれと同じくらい感銘深い演奏にまた出会えるかもしれないが、これを上回ることはないのではないか――と思われるくらいだ。

 カンブルラン/読響のコンビは驚くべき成果を上げていると思った。
(2012.4.16.サントリーホール)
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