10月24日から旅に出ます。ミュンヘン、ボン、ベルリンと回って10月31日に帰国します。いつもは一人旅ですが、今回は友人と一緒です。帰国したらまた報告します。
ニューフィルハーモニーオーケストラ千葉(通称「ニューフィル千葉」)が本年10月1日付けで千葉交響楽団と改称し、第100回定期演奏会を開いた。よくここまで来たものだ。お祝いの気持ちで出かけた。
指揮は本年4月から音楽監督に就任している山下一史。1曲目はモーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」。指揮者が懸命にオーケストラをひっぱり、オーケストラも頑張っているのだが、弦の音はざらつき気味で、管はミスが散見されたのが残念。
休憩後、2曲目は山本純ノ介の新作「千の音と楽の葉~SEN NO NE TO GAKU NO HA~」。第100回定期を記念した委嘱作品。タイトルをよく見ると、‘千葉’が最初と最後に分けて置かれ、‘音楽’を挟む形になっている。作曲者のユーモアとサービス精神が感じられる。
山本純ノ介(1958‐)は山本直純のご子息だ。山本直忠、山本直純と続く音楽家の家系。現在は千葉大学の教授でもあるので、白羽の矢が立ったのだろうか。すでにオーケストラ作品をいくつも書いているので、オーケストラの鳴らし方は手馴れたものだ。中ほどのクライマックスを経た後、マリンバ、ヴァイオリン、クラリネット、チェロのソロが入るところが目を引く。
演奏は(1曲目のモーツァルトとは打って変わり)音に艶が出て、アンサンブルがまとまり、生彩を放っていた。十分に準備された演奏だ。
3曲目はストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」(1919年版)。とくにコメントはされていなかったが、存続すら危ぶまれる時期もあったと聞くこのオーケストラが、第100回の定期を開くまでに至った、その想いを‘不死鳥’のイメージに重ねているのではないだろうか。演奏も、2曲目と同様に、生彩があった。振り返ってみると、1曲目のモーツァルトは準備不足だったのかもしれない。
2曲目も3曲目もここまで演奏できたのは、山下一史のリードの賜物だ。千葉交響楽団はまだオーケストラとしての体制整備の道半ばで、今回の定期も多くのエキストラに頼らざるを得ない現状のようだが、そういうオーケストラをまとめ上げ、妥協のない演奏を繰り広げたのは、山下一史の力量だ。
山下一史が、働き盛りの年齢で、あえて困難が多いと思われる仕事を引き受けたことを多とするとともに、千葉交響楽団の前途が明るく拓けることを願いたい。
(2016.10.23.千葉県文化会館)
指揮は本年4月から音楽監督に就任している山下一史。1曲目はモーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」。指揮者が懸命にオーケストラをひっぱり、オーケストラも頑張っているのだが、弦の音はざらつき気味で、管はミスが散見されたのが残念。
休憩後、2曲目は山本純ノ介の新作「千の音と楽の葉~SEN NO NE TO GAKU NO HA~」。第100回定期を記念した委嘱作品。タイトルをよく見ると、‘千葉’が最初と最後に分けて置かれ、‘音楽’を挟む形になっている。作曲者のユーモアとサービス精神が感じられる。
山本純ノ介(1958‐)は山本直純のご子息だ。山本直忠、山本直純と続く音楽家の家系。現在は千葉大学の教授でもあるので、白羽の矢が立ったのだろうか。すでにオーケストラ作品をいくつも書いているので、オーケストラの鳴らし方は手馴れたものだ。中ほどのクライマックスを経た後、マリンバ、ヴァイオリン、クラリネット、チェロのソロが入るところが目を引く。
演奏は(1曲目のモーツァルトとは打って変わり)音に艶が出て、アンサンブルがまとまり、生彩を放っていた。十分に準備された演奏だ。
3曲目はストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」(1919年版)。とくにコメントはされていなかったが、存続すら危ぶまれる時期もあったと聞くこのオーケストラが、第100回の定期を開くまでに至った、その想いを‘不死鳥’のイメージに重ねているのではないだろうか。演奏も、2曲目と同様に、生彩があった。振り返ってみると、1曲目のモーツァルトは準備不足だったのかもしれない。
2曲目も3曲目もここまで演奏できたのは、山下一史のリードの賜物だ。千葉交響楽団はまだオーケストラとしての体制整備の道半ばで、今回の定期も多くのエキストラに頼らざるを得ない現状のようだが、そういうオーケストラをまとめ上げ、妥協のない演奏を繰り広げたのは、山下一史の力量だ。
山下一史が、働き盛りの年齢で、あえて困難が多いと思われる仕事を引き受けたことを多とするとともに、千葉交響楽団の前途が明るく拓けることを願いたい。
(2016.10.23.千葉県文化会館)