東京オペラ・プロデュースによるレスピーギのオペラ「ベルファゴール」。悪魔ベルファゴールが人間の女性カンディダを好きになる。でも、カンディダには恋人バルドがいる。カンディダの父親ミロクレートは、金に目が眩んで、カンディダをベルファゴールと結婚させるが、最後にカンディダとバルドは結ばれる。
ベルファゴールは北川辰彦、カンディダは大隈智佳子、バルドは内山信吾、ミロクレートは佐藤泰弘といずれ劣らぬ実力者がそろった声楽陣。指揮は当団で何度も指揮をしている時任康文。演出は馬場紀雄。当団のベストを尽くした布陣だ。
プロローグは慎重に音を拾っているようなところがあって平板だった。テンポの遅さもその一因だったと思う。第1幕はコミカルな動きがあり、楽しめないことはなかったが、ベルファゴール役の北川辰彦の頑張りに頼っている感もあった。
休憩後の第2幕そしてエピローグは、歌手もオーケストラも(東京オペラ・フィルハーモニック管弦楽団という臨時編成のオーケストラ。知っている名前も散見された)乗ってきて、気合の入った演奏が繰り広げられた。
低予算を余儀なくされている団体なので、舞台装置にお金をかけられないことは十分承知しているが、それならいっそのこと、もっと抽象的な舞台装置にすることも考えられないだろうかと、素人なりに思ったが‥。なお照明は、時にけばけばしく、品のないことがあった。
「ベルファゴール」(1921~22)は「ローマの噴水」(1915~16)と「ローマの松」(1924~25)の間に書かれた作品。「噴水」や「松」のような透明感あふれるオーケストレイションを聴くことができる。甘美な音楽はプッチーニの路線上にあるが、プッチーニより抑制が効いている点がレスピーギの個性だろう。
レスピーギはもっと評価されていい作曲家だと思う。本作もその一つだが、レスピーギしか書けなかった音楽の世界を持っている。ローマ三部作だけでなく、その評価がもっと高まる日が来るかもしれない。
東京オペラ・プロデュースの運営は厳しいようだ。松尾史子代表の「ごあいさつ」の一部を引用すると、「(前略)創設当時のメンバーが僅少になりつつある今、芸術文化に救いの手を差し伸べていただける新たなスポンサーが見つからない限り、上演を継続していく道筋が先細りしていく未来しか想像できなくなっております。」
(2017.2.5.新国立劇場中劇場)
ベルファゴールは北川辰彦、カンディダは大隈智佳子、バルドは内山信吾、ミロクレートは佐藤泰弘といずれ劣らぬ実力者がそろった声楽陣。指揮は当団で何度も指揮をしている時任康文。演出は馬場紀雄。当団のベストを尽くした布陣だ。
プロローグは慎重に音を拾っているようなところがあって平板だった。テンポの遅さもその一因だったと思う。第1幕はコミカルな動きがあり、楽しめないことはなかったが、ベルファゴール役の北川辰彦の頑張りに頼っている感もあった。
休憩後の第2幕そしてエピローグは、歌手もオーケストラも(東京オペラ・フィルハーモニック管弦楽団という臨時編成のオーケストラ。知っている名前も散見された)乗ってきて、気合の入った演奏が繰り広げられた。
低予算を余儀なくされている団体なので、舞台装置にお金をかけられないことは十分承知しているが、それならいっそのこと、もっと抽象的な舞台装置にすることも考えられないだろうかと、素人なりに思ったが‥。なお照明は、時にけばけばしく、品のないことがあった。
「ベルファゴール」(1921~22)は「ローマの噴水」(1915~16)と「ローマの松」(1924~25)の間に書かれた作品。「噴水」や「松」のような透明感あふれるオーケストレイションを聴くことができる。甘美な音楽はプッチーニの路線上にあるが、プッチーニより抑制が効いている点がレスピーギの個性だろう。
レスピーギはもっと評価されていい作曲家だと思う。本作もその一つだが、レスピーギしか書けなかった音楽の世界を持っている。ローマ三部作だけでなく、その評価がもっと高まる日が来るかもしれない。
東京オペラ・プロデュースの運営は厳しいようだ。松尾史子代表の「ごあいさつ」の一部を引用すると、「(前略)創設当時のメンバーが僅少になりつつある今、芸術文化に救いの手を差し伸べていただける新たなスポンサーが見つからない限り、上演を継続していく道筋が先細りしていく未来しか想像できなくなっております。」
(2017.2.5.新国立劇場中劇場)