Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

カンブルラン/読響

2017年04月16日 | 音楽
 カンブルランが指揮する読響の4月定期は、いかにもカンブルランらしいプログラムが組まれた。

 1曲目はメシアンの「忘れられた捧げもの」。メシアン最初期の作品だ(プログラムノーツによれば、メシアンにとって「初めて公開で演奏された管弦楽曲」とのこと)。切れ目なく演奏される3つの部分からなっているが、その最初の部分から、メシアン独特のハーモニーが聴こえる。逆に激しく動く中間部分は、後年のメシアンとは少し異なる。

 演奏は、透明なハーモニー、しなやかな旋律線、クリアーな音像などの特徴を持ち、しっかり焦点が合った見事なものだった。1月定期で演奏された最晩年の管弦楽曲「彼方の閃光」ともども、本年11月に演奏予定のオペラ「アッシジの聖フランチェスコ」に向けての準備が進んでいることが窺われた。

 2曲目はドビュッシーの「〈聖セバスティアンの殉教〉交響的断章」。ドビュッシーの秘曲的なイメージがある曲だが、オーケストレーションは友人のアンドレ・カプレの手を借り(全面的なのか、部分的なのか‥)、また劇付随音楽から本作への編曲はカプレがおこなっているわけで、そのせいかどうか、オーケストレーションにはドビュッシーの才気が今一つ感じられないと、生意気にも思ってしまったが‥。

 ともあれ、カンブルラン/読響は、瞑想的な音楽が綿々と続くこの曲を、もたれもせずに聴かせたことが何よりだ。

 3曲目はバルトークの「青ひげ公の城」。ユディットはイリス・フェルミリオン、青ひげはバリント・ザボ。前にも書いたことがあるが、フェルミリオンには忘れられない想い出がある。ザクセン州立歌劇場(ドレスデン)でオトマール・シェックの「ペンテジレーア」を観たときに、タイトルロールを歌っていて、わたしはその歌に‘魂の裸形’とでもいうべきものを感じて震えた。指揮はゲルト・アルブレヒトだった。

 今回のフェルミリオンは、パワーは後退したが、役への理解の深さは変わらなかった。一方、ハンガリー人のザボは、さすがにハンガリー語が自然だった。

 カンブルラン/読響の演奏は、7つの扉の音楽を鮮明に描き分けるだけではなく、各々のつなぎの部分での心理的な移ろいを克明に描き、名演も名演、一種の頂点を極める名演だった。わたしは過去に聴いた国内外でのこの曲の上演・演奏を思い浮かべてみたが、そのどれをも凌駕する演奏ではないかと思った。
(2017.4.15.東京芸術劇場)
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