テオドール・シャセリオー(1819‐1856)はフランスの画家。37歳で夭折した。11歳のときに古典主義の画家アングル(1780‐1867)の門下に入り、将来を嘱望されたが、その後ロマン主義の画家ドラクロワ(1798‐1863)の影響を受け、アングルとは決別。生前その作品は高く評価され、公共建築の壁画も描いた。また象徴主義の画家ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ(1824‐1898)やギュスターヴ・モロー(1826‐1898)に影響を与えた。
シャセリオーの美術史上の位置付けは、ざっと以上のようになるようだ。1819年生まれというと、ギュスターヴ・クールベ(1819‐1877)と同い年だが、クールベが写実主義の画家として、まったく異なる系譜に連なるのに対して、シャセリオーはやがて象徴主義につながる地下水脈のような印象だ。
チラシ(↑)に使われている「カバリュス嬢の肖像」(1848)は、実際に見ると、大変な傑作だ。白いドレスとピンクのケープの光沢、すらりと伸びた身体のライン、そこに漂う気品、柔らかい光、静穏な室内の空気等々、シャセリオーの力量がよく分かる。
本作が1848年に描かれたことにも驚く。同年にフランスでは2月革命が起きた。その影響はあっという間にヨーロッパ各国に及んだ(余談だが、ワーグナーが同年、ドレスデンで革命運動に参加して指名手配され、スイスに逃れたことは、音楽好きにはお馴染みのエピソードだ)。
1848年というと、わたしにはそんな騒然としたイメージがあるが、本作ではそのような騒々しさからは隔絶した静かな時間が流れている。
シャセリオーという画家に驚いたわたしは、インターネットで検索してみた。ウィキペディアに載っていたことはもちろんだが、そのほか、2013年7月~9月に開催された「ルーヴル美術館展―地中海四千年のものがたり―」(東京都美術館)でもシャセリオーの作品が来ていたことを知った。
同展はわたしも見た。左欄のブックマークに登録しているブログを検索したところ、「モロッコの踊り子たち―薄布の踊り―」と「アルジェリア―バルコニーのユダヤの女性たち―」の画像が出てきた。同展でそれらの絵を見た記憶が蘇ってきた。
わたしはシャセリオーという名前をすっかり忘れていたが、今度はしっかり頭に入ったので、もう忘れることはないと思う。
(2017.4.7.国立西洋美術館)
(※)本展のHP
シャセリオーの美術史上の位置付けは、ざっと以上のようになるようだ。1819年生まれというと、ギュスターヴ・クールベ(1819‐1877)と同い年だが、クールベが写実主義の画家として、まったく異なる系譜に連なるのに対して、シャセリオーはやがて象徴主義につながる地下水脈のような印象だ。
チラシ(↑)に使われている「カバリュス嬢の肖像」(1848)は、実際に見ると、大変な傑作だ。白いドレスとピンクのケープの光沢、すらりと伸びた身体のライン、そこに漂う気品、柔らかい光、静穏な室内の空気等々、シャセリオーの力量がよく分かる。
本作が1848年に描かれたことにも驚く。同年にフランスでは2月革命が起きた。その影響はあっという間にヨーロッパ各国に及んだ(余談だが、ワーグナーが同年、ドレスデンで革命運動に参加して指名手配され、スイスに逃れたことは、音楽好きにはお馴染みのエピソードだ)。
1848年というと、わたしにはそんな騒然としたイメージがあるが、本作ではそのような騒々しさからは隔絶した静かな時間が流れている。
シャセリオーという画家に驚いたわたしは、インターネットで検索してみた。ウィキペディアに載っていたことはもちろんだが、そのほか、2013年7月~9月に開催された「ルーヴル美術館展―地中海四千年のものがたり―」(東京都美術館)でもシャセリオーの作品が来ていたことを知った。
同展はわたしも見た。左欄のブックマークに登録しているブログを検索したところ、「モロッコの踊り子たち―薄布の踊り―」と「アルジェリア―バルコニーのユダヤの女性たち―」の画像が出てきた。同展でそれらの絵を見た記憶が蘇ってきた。
わたしはシャセリオーという名前をすっかり忘れていたが、今度はしっかり頭に入ったので、もう忘れることはないと思う。
(2017.4.7.国立西洋美術館)
(※)本展のHP