Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ヘンリー五世

2018年05月28日 | 演劇
 新国立劇場で「ヘンリー五世」が上演されている。2009年の「ヘンリー六世」3部作から始まり、2012年の「リチャード三世」、2016年の「ヘンリー四世」2部作と続いたシェイクスピアの歴史劇シリーズは、今回の「ヘンリー五世」でひとまず完結だろうか。イングランドの大きな歴史物語が、「ヘンリー五世」の上演で(ジグソーパズルの欠けていた一片が埋まるような形で)完成した。

 シェイクスピアの歴史劇は面白い、というのがわたしの第一印象だが、では、何がどう面白いのかと自問すると、その答えに窮する。何か一つに絞りきれないのだ。シェイクスピアの歴史観とか、権力闘争の昔と今との類似性とか、その権力闘争に振り回される庶民の苦難としたたかさかとか。

 全体的には、それらの要素が盛られた器のようなもの、という感じがする。どこを押しても、ゴムボールのような復元力があり、元の形に戻る。バランスが崩れそうで崩れない。そんな柔構造を感じる。それは鵜山仁の演出によるものか、それともシェイクスピアの歴史劇がそもそもそうなのか、そこは判断できないが。

 ともかく、面白かった。生きいきとした面白さに溢れていた。新国立劇場のこれらの上演がなかったら、わたしはシェイクスピアの歴史劇の面白さを知らないままだったろう。

 浦井健治、岡本健一、中嶋朋子といった主要キャストが一貫していたことは、シリーズ上演のその全体に統一感を生むうえで大きかった。とくに王子・王様役の浦井健治の凛々しさと、ヒール役の岡本健一の男の色気とが、全体のけん引力となった。その二人に中嶋朋子を加えた3人を、ベテラン役者たちの安定した演技が支えた。

 先ほど、ジグソーパズル云々といったが、それについて補足すると、歴史的にはヘンリー四世→ヘンリー五世→ヘンリー六世→リチャード三世と続くわけだが、上演順はそれとは異なっていたので、途中の空白部分(ヘンリー五世の部分)が埋まったことを意味する。

 結局上演順はシェイクスピアが書いた順だったわけだが、そのためもあってか、シェイクスピアが最後に書いた「ヘンリー五世」で、フランスに攻め込む大義名分とか、イングランド、ウェールズ、スコットランド間の対立・融和とか、戦場の兵士たちの厭世観とかのディテールが書き込まれたことが興味深かった。

 それらのディテールには落穂拾い的な面白さがあった。
(2018.5.23.新国立劇場中劇場)
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