Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

オペラ「金閣寺」

2019年02月25日 | 音楽
 東京二期会のオペラ公演「金閣寺」を観た。観る前は、新国立劇場のオペラ「紫苑物語」と比較したくなるだろうと思っていたが、実際に観たら、両者は別物だと思った。

 「金閣寺」は1976年の初演なので、出来立てほやほやの「紫苑物語」とは43年もの隔たりがある。「紫苑物語」には関係者の熱気がまだ湯気のように立っているが、「金閣寺」にはすでに20世紀オペラの古典のような風格が漂っている。

 今回の「金閣寺」公演では大幅なカットが施されていた。上演時間は第1幕~第2幕が約60分、第3幕が約35分、合計で約95分だったが、わたしが2015年に神奈川県民ホールで観た公演は、正味2時間あまりの上演時間だったと思うので、約4分の1がカットされたことになる。そのためか、全体の進行がスピーディで、スタイリッシュな感覚があった。

 上演時間約95分といえば、ベルクのオペラ「ヴォツェック」と同じ程度だ。しかも黛敏郎がこのオペラにつけた音楽は、ベルクの音楽に比べて、平易で聴きやすい。加えて、1985年生まれの指揮者マキシム・パスカルにとっては、このオペラは生まれる前の作品。だからだろうか、オペラの通常レパートリーのような感覚の指揮だった。神奈川県民ホールでの下野竜也の熱い指揮とは一味違っていた。

 マキシム・パスカルは、わたしには想い出がある。2017年のザルツブルク音楽祭でジェラール・グリゼーの「音響空間」を聴いて、感銘を受けたのだ(オーケストラはオーストリア放送交響楽団だった)。そのときはテオドール・クルレンツィス指揮でモーツァルトの「皇帝ティトの慈悲」を観て(オーケストラはムジカエテルナ)、それにも驚いたが、衝撃の度合いは同じくらいだった。

 今回のパスカルの指揮は、「音響空間」での渾身の力を込めた指揮とは異なり、もっとクールな、手慣れた感じがした。たとえばフィナーレの読経の音楽は、前記の下野竜也の場合は熱く盛り上げたが、パスカルはむしろ控えめで、全体の流れの中に収めた。

 宮本亜門の演出はわかりやすかった。主人公「溝口」の少年時代を表す「ヤング溝口」の設定とその役への少年ダンサーの起用も成功していた。神奈川県民ホールの公演では全面カットされていた尺八の場面は、フルート代用で(たぶん短縮して)復活された。

 「溝口」の宮本益光以下どの歌手も、歌唱面はもとより、演技でも文句のつけようのないアクターとアクトレスになっていた。その結果、演劇的な面でも見事な上演だった。
(2019.2.24.東京文化会館)
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