Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

METライブビューイング「ポーギ―とベス」(1)

2020年07月01日 | 音楽
 METライブビューイングの「ポーギ―とベス」はぜひ観たかったが、4月上旬の上映のときは新型コロナウイルスの感染拡大の真最中だったので、やむを得ず見送った。ところがこの度、追加上映が行われたので、無事に観ることができた。

 映像は2月1日の公演のもの。この頃はまだオペラが上演できたのだなと思う。メトロポリタン歌劇場(「MET」)はその後、3月20日から公演を中止し、今では12月末までのすべての公演の中止を発表している。

 映像を観ると、舞台上には大勢の歌手がひしめき、全身で黒人たちの喜怒哀楽を表現している。オーケストラボックスは楽員でいっぱい。客席は満員だ。今では遠い昔のような光景。こんな光景がいつ戻ってくるのか‥。

 「ポーギ―とベス」は好きなオペラの一つだ。マゼール指揮クリーヴランド管弦楽団のCDを何度聴いたことか。また、あれはいつだったか、外来のオペラ団が東急文化村で公演したことがあった。わたしも観にいったが、かならずしも満足できる水準ではなかった。また、もう一つ思い出すのは、2009年にアーノンクールがグラーツのシュティリアルテ・フェスティヴァルでこのオペラを上演したことだ。わたしはアーノンクールが「ポーギ―とベス」を振ることに驚き、できれば観にいきたいと思ったが、休暇を取れずに断念した。その頃から、いつかはMETで観たいと思っていた。

 このオペラの主人公はポーギ―とベスだが、むしろ南部アメリカの町チャールストンの黒人街キャットフィッシュ・ロウ(「なまず通り」)の黒人社会が主人公といったほうがいいだろう。貧しく、荒くれて、白人から見下されているが、黒人たちには愛があり、いたわりがあり、涙がある。濃密なその人間関係が描かれる。

 なので、一種の群像劇ともいえるが、音楽的にはポーギ―とベスの比重が大きく、その他の登場人物には1つか2つの独唱が与えられているだけなので(それはオペラの時間的な制約からくるのだろう)、CDで聴くと(あるいは演出が弱い上演では)、各登場人物のキャラクターが立ってこないうらみがある。

 その点、今回のジェイムズ・ロビンソンの演出では、各登場人物のキャラクターが明確に描かれていた。なかでも、マライア、セリナ、クララの3人の女性たちの個性の違いがよくでていた。とくにマライアには存在感があった。マライアの独唱は短く、あまり印象に残らないのだが、ステージ上での存在は大きいことに気がついた。男性では、クラウン、スポーティング・ライフの2人の悪役の描き方が鮮明だった。一方、赤ん坊が生まれたばかりのクララの夫のジェイクは、もっとうぶな青年ではないかと思った。(続く)
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