ウクライナのキーウ近郊で民間人の多数の遺体が発見された。ロシアはウクライナの極右勢力がやったことと主張して、関与を否定――というニュースにどうしようもない既視感をおぼえた。第二次世界大戦中に起きた「カティンの森事件」だ。ポーランドに侵攻したナチス・ドイツがカティンの森で多数の遺体を発見した。それを発表したら、ソ連はナチス・ドイツがやったことと主張し、戦後もずっと関与を認めなかった。それとよく似ている。
そんなこんなで憂鬱な日々が続くが、気を取り直して展覧会に出かけた。「メトロポリタン美術館展」だ。連休に入ると混むだろうからと、平日の午前中に出かけたが、会場はかなり混んでいた。絵を見ていても人がぶつかってくるし、「早くどいてくれ」という無言の圧力を感じることもあった。
でも、ともかく平和な日常だ。外に出ると桜が舞っていた。この平和な日常とウクライナの現実と、両者はどうつながるのだろう。わたしも募金をしたり、署名に応じたり、ささやかな行動に参加したりしているが、安全な場からの支援にすぎない。わたしは傍観者なのだろうか。
「メトロポリタン美術館展」の内容に入ろう。これは質量ともに世界最高峰の美術館であるメトロポリタン美術館にふさわしい内容だ。他の展覧会なら目玉になるような作品が何点も来ている。もちろんそれ以外の作品も充実している。
チラシ(↑)に使われている作品はジョルジュ・ド・ラ・トゥールの「女占い師」だ。画面の左から強い光が射している。中央の男とその右の女は明るく照らされている。一方、左の2人の女の顔は影になっている。右端の老婆はもっとも明るく照らされているが、浅黒い肌が異様に映る。また中央の男とその右の女がのっぺりした顔をしているのにたいして、老婆の顔には深いしわが刻まれている。それらのコントラストが、溢れる光と暖色系の色彩のなかで、(金の鎖を切り、財布を奪おうとする)ドラマの緊張を高める。
本展のHP↓に画像が載っているが、フェルメールの「信仰の寓意」とレンブラントの「フローラ」も他の展覧会なら単独で目玉になるような作品だ。「信仰の寓意」は、開かれたタペストリーの奥で展開される信仰のドラマ、という一種の劇場性がある(なお実物を見て初めて気が付いたが、蛇を踏みつける「隅の親石」は未完のように見える)。一方、「フローラ」は憂いをふくんだ表情がレンブラントの心情を感じさせる。
その他、ゴヤの「ホセ・コスタ・イ・ボネルス(通称ペピート)」やマネの「剣を持つ少年」も語りたい気はするが、もうやめよう。ともかく名品の数々だ。
(2022.4.6.国立新美術館)
(※)本展のHP
そんなこんなで憂鬱な日々が続くが、気を取り直して展覧会に出かけた。「メトロポリタン美術館展」だ。連休に入ると混むだろうからと、平日の午前中に出かけたが、会場はかなり混んでいた。絵を見ていても人がぶつかってくるし、「早くどいてくれ」という無言の圧力を感じることもあった。
でも、ともかく平和な日常だ。外に出ると桜が舞っていた。この平和な日常とウクライナの現実と、両者はどうつながるのだろう。わたしも募金をしたり、署名に応じたり、ささやかな行動に参加したりしているが、安全な場からの支援にすぎない。わたしは傍観者なのだろうか。
「メトロポリタン美術館展」の内容に入ろう。これは質量ともに世界最高峰の美術館であるメトロポリタン美術館にふさわしい内容だ。他の展覧会なら目玉になるような作品が何点も来ている。もちろんそれ以外の作品も充実している。
チラシ(↑)に使われている作品はジョルジュ・ド・ラ・トゥールの「女占い師」だ。画面の左から強い光が射している。中央の男とその右の女は明るく照らされている。一方、左の2人の女の顔は影になっている。右端の老婆はもっとも明るく照らされているが、浅黒い肌が異様に映る。また中央の男とその右の女がのっぺりした顔をしているのにたいして、老婆の顔には深いしわが刻まれている。それらのコントラストが、溢れる光と暖色系の色彩のなかで、(金の鎖を切り、財布を奪おうとする)ドラマの緊張を高める。
本展のHP↓に画像が載っているが、フェルメールの「信仰の寓意」とレンブラントの「フローラ」も他の展覧会なら単独で目玉になるような作品だ。「信仰の寓意」は、開かれたタペストリーの奥で展開される信仰のドラマ、という一種の劇場性がある(なお実物を見て初めて気が付いたが、蛇を踏みつける「隅の親石」は未完のように見える)。一方、「フローラ」は憂いをふくんだ表情がレンブラントの心情を感じさせる。
その他、ゴヤの「ホセ・コスタ・イ・ボネルス(通称ペピート)」やマネの「剣を持つ少年」も語りたい気はするが、もうやめよう。ともかく名品の数々だ。
(2022.4.6.国立新美術館)
(※)本展のHP