ジョナサン・ノット指揮東響の定期演奏会。じつはこの演奏会を聴きたくて今シーズンから定期会員になった。お目当てはショスタコーヴィチの交響曲第4番だ。プログラムはまずラヴェルの「道化師の朝の歌」から。もちろん良い演奏だったが、ノット東響ならこれくらいはできるだろうと。そんな不遜な感想に我ながら呆れるが。
次にラヴェルの歌曲集「シェエラザード」。ソプラノ独唱は安井みく。初耳の名前だ。国立音楽大学を卒業後、東京芸大大学院修士課程を修了。いまはイギリスのギルドホール音楽院に在籍中。バッハ・コレギウム・ジャパンのメンバーだそうだ。素直で美しい声だが、ときにオーケストラに埋もれがちだ。それはオーケストラが雄弁だからでもあるだろう。正直、わたしにはオーケストラのほうがおもしろかった。
最後にショスタコーヴィチの交響曲第4番。すでにツイッターなどで多くの方が発信しているが、第1楽章の後半で第二ヴァイオリンの奏者が椅子から倒れた。本人は意識を失っているようだ。周囲の楽員が駆け寄り、またバックステージに人を呼びに行った。数人の事務局員が現れ、その奏者を運び出した。その間、ノットは演奏を止めなかった。第二ヴァイオリンをはじめとして、演奏から脱落する楽員もいた。わたしも胸がざわざわした。だが楽員が全員演奏に復帰すると、アクシデントを挽回するかのように、気合の入った演奏が回復した。わたしも集中することができた。
ノット指揮のこの曲は、どういう演奏だったろう。基本的には、いかにも気力と体力が充実した壮年期の指揮者らしく、緩みなく構築され、また緩急の対照がはっきりした、文句の付けようのない立派な演奏だった。それを前提として、この演奏はどういう性格のものかと考えた。
この曲の第1楽章はほんとうに複雑怪奇な音楽だ。思えばわたしは、その音楽の脈絡を追えたことがない。ノットの指揮で聴いても、それはそうだった。ひとつの器になにもかも投げ込んだ“ごった煮”のような音楽だ。ノットはそれを手加減せずに聴かせた。
中田朱美氏のプログラムノートに「第3楽章の構成はもっとも複雑」と書かれている。たしかに第3楽章の「構成」はそうだろう。だが、次から次へと出てくる楽想が、絶えず前の楽想を裏切りながら現れる点では、わかりやすいともいえる。たとえばシリアスな楽想が展開すると、それを打ち消すように、急におどけた楽想が現れるという。それはショスタコーヴィチの精神の本質的なところを反映しているように思うが、結果としての音楽は、第1楽章の“ごった煮”の音楽と合わせて、いまの言葉でいえばポストモダンになるのではないか。ノットの指揮はそのような側面からとらえたものだったように思う。
(2022.10.15.サントリーホール)
次にラヴェルの歌曲集「シェエラザード」。ソプラノ独唱は安井みく。初耳の名前だ。国立音楽大学を卒業後、東京芸大大学院修士課程を修了。いまはイギリスのギルドホール音楽院に在籍中。バッハ・コレギウム・ジャパンのメンバーだそうだ。素直で美しい声だが、ときにオーケストラに埋もれがちだ。それはオーケストラが雄弁だからでもあるだろう。正直、わたしにはオーケストラのほうがおもしろかった。
最後にショスタコーヴィチの交響曲第4番。すでにツイッターなどで多くの方が発信しているが、第1楽章の後半で第二ヴァイオリンの奏者が椅子から倒れた。本人は意識を失っているようだ。周囲の楽員が駆け寄り、またバックステージに人を呼びに行った。数人の事務局員が現れ、その奏者を運び出した。その間、ノットは演奏を止めなかった。第二ヴァイオリンをはじめとして、演奏から脱落する楽員もいた。わたしも胸がざわざわした。だが楽員が全員演奏に復帰すると、アクシデントを挽回するかのように、気合の入った演奏が回復した。わたしも集中することができた。
ノット指揮のこの曲は、どういう演奏だったろう。基本的には、いかにも気力と体力が充実した壮年期の指揮者らしく、緩みなく構築され、また緩急の対照がはっきりした、文句の付けようのない立派な演奏だった。それを前提として、この演奏はどういう性格のものかと考えた。
この曲の第1楽章はほんとうに複雑怪奇な音楽だ。思えばわたしは、その音楽の脈絡を追えたことがない。ノットの指揮で聴いても、それはそうだった。ひとつの器になにもかも投げ込んだ“ごった煮”のような音楽だ。ノットはそれを手加減せずに聴かせた。
中田朱美氏のプログラムノートに「第3楽章の構成はもっとも複雑」と書かれている。たしかに第3楽章の「構成」はそうだろう。だが、次から次へと出てくる楽想が、絶えず前の楽想を裏切りながら現れる点では、わかりやすいともいえる。たとえばシリアスな楽想が展開すると、それを打ち消すように、急におどけた楽想が現れるという。それはショスタコーヴィチの精神の本質的なところを反映しているように思うが、結果としての音楽は、第1楽章の“ごった煮”の音楽と合わせて、いまの言葉でいえばポストモダンになるのではないか。ノットの指揮はそのような側面からとらえたものだったように思う。
(2022.10.15.サントリーホール)