東京オペラシティ恒例のコンポージアム2023。今年の作曲家は近藤譲(1947‐)だ。演奏はピエール=アンドレ・ヴァラド指揮の読響。ヴァラドは以前グリゼーの「音響空間」とブーレーズの「プリ・スロン・プリ」で忘れがたい名演を聴かせた指揮者だ。なお後述する3曲目は国立音楽大学のクラリネット・アンサンブル。
1曲目は「牧歌」(1989)。事前に「ぶらあぼ」ONLINEの特設ページを読んだが、小室敬幸氏のリハーサル・レポートによると、本作品には「“4分”の“3分の4”」とか「8分の1+“4分”の“3分の1”」とかいった「見たこともない拍子」が登場するらしい。どんな拍子かというと、「四分音符の三連符――つまり四分音符を三分割したうちの「1」もしくは「2」だけが拍子に挿入」されるとのこと。そう説明されてもさっぱりわからない。笑うしかないが、ともかく一定の拍節感に障害を設けて、つかえたり、ひっかかったりする感覚を生むのだろうかと……。
で、実演を聴いてどうだったかというと、たしかにそうかもしれないが、それ以上にオーケストラの響き自体が新ウィーン楽派のように聴こえたことにびっくりした。予想もしなかったことだ。濃厚な音楽、密度の濃さ。わたしが室内楽曲「視覚リズム法」(1975)で抱いていた近藤譲の乾いた感性のイメージとは相反する響きだった。
2曲目は「鳥楽器の役割」(1975)。近藤譲の書いたプログラムノーツによると、「管楽器は、非常にゆっくりとした旋律線を、「点」の間遠い連なりによって描き、弦楽器は、その点と点との間をグリッサンドで繋いでいく」曲。唐突かもしれないが、音の点とグリッサンドの多様から、高橋悠治の「オルフィカ」(1969)を思い出した。
3曲目は「フロンティア」(1991)。3人のソリストと5群の合奏(各群5人、合計25人)のすべてがB管クラリネットだ。それほどおもしろいとは思わなかったが、不思議なことに、一夜明けたいまも純正な音色が耳に残っている。
4曲目は「ブレイス・オブ・シェイクス」(2022)。この曲ではまた新ウィーン楽派を思い出した。ただし1曲目がアダージョ的なゆっくりした音楽だったのにたいして、この曲はスケルツォ的な音楽だ。と思ったら、突然、断ち切られるように暗転して終わった。
5曲目は「パリンプセスト」(2021)。ピアノ曲「柘榴」(2020)をオーケストラ版に編曲した曲。「柘榴」は上記の特設ページに載っていたので、事前に聴いたが、それとはまったく印象が異なった。謎の音型が、異なる楽器編成で変奏され、それが変形されながら、一定周期で続く。その茫洋とした持続がメシアンの後期の様式を思わせた。
(2023.5.25.東京オペラシティ)
1曲目は「牧歌」(1989)。事前に「ぶらあぼ」ONLINEの特設ページを読んだが、小室敬幸氏のリハーサル・レポートによると、本作品には「“4分”の“3分の4”」とか「8分の1+“4分”の“3分の1”」とかいった「見たこともない拍子」が登場するらしい。どんな拍子かというと、「四分音符の三連符――つまり四分音符を三分割したうちの「1」もしくは「2」だけが拍子に挿入」されるとのこと。そう説明されてもさっぱりわからない。笑うしかないが、ともかく一定の拍節感に障害を設けて、つかえたり、ひっかかったりする感覚を生むのだろうかと……。
で、実演を聴いてどうだったかというと、たしかにそうかもしれないが、それ以上にオーケストラの響き自体が新ウィーン楽派のように聴こえたことにびっくりした。予想もしなかったことだ。濃厚な音楽、密度の濃さ。わたしが室内楽曲「視覚リズム法」(1975)で抱いていた近藤譲の乾いた感性のイメージとは相反する響きだった。
2曲目は「鳥楽器の役割」(1975)。近藤譲の書いたプログラムノーツによると、「管楽器は、非常にゆっくりとした旋律線を、「点」の間遠い連なりによって描き、弦楽器は、その点と点との間をグリッサンドで繋いでいく」曲。唐突かもしれないが、音の点とグリッサンドの多様から、高橋悠治の「オルフィカ」(1969)を思い出した。
3曲目は「フロンティア」(1991)。3人のソリストと5群の合奏(各群5人、合計25人)のすべてがB管クラリネットだ。それほどおもしろいとは思わなかったが、不思議なことに、一夜明けたいまも純正な音色が耳に残っている。
4曲目は「ブレイス・オブ・シェイクス」(2022)。この曲ではまた新ウィーン楽派を思い出した。ただし1曲目がアダージョ的なゆっくりした音楽だったのにたいして、この曲はスケルツォ的な音楽だ。と思ったら、突然、断ち切られるように暗転して終わった。
5曲目は「パリンプセスト」(2021)。ピアノ曲「柘榴」(2020)をオーケストラ版に編曲した曲。「柘榴」は上記の特設ページに載っていたので、事前に聴いたが、それとはまったく印象が異なった。謎の音型が、異なる楽器編成で変奏され、それが変形されながら、一定周期で続く。その茫洋とした持続がメシアンの後期の様式を思わせた。
(2023.5.25.東京オペラシティ)