Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ソヒエフ/N響

2025年01月25日 | 音楽
 ソヒエフ指揮N響の定期演奏会Cプロ。曲目はストラヴィンスキーの組曲「プルチネッラ」とブラームスの交響曲第1番。

 組曲「プルチネッラ」は弦楽器が14型の演奏。ちょっと驚いた。これでどういう演奏になるのだろう。案の定、弦楽器は重かった。木管楽器が2管編成で(ただしクラリネットを欠く)、ホルン2本、トランペットとトロンボーンが各1本という金管楽器にくらべて、弦楽器の図体が大きい。結果、この曲の諧謔味が薄れた。

 ストラヴィンスキーのスコアには弦楽器の編成の指定はないだろう。では、一般的にはどのくらいの編成で演奏されているのだろう。Wikipediaによると、4‐4‐3‐3‐3とある。たしかにその程度の編成がふさわしいかもしれない。弦楽器の薄さという点と、中低音に比した高音(ヴァイオリン)の薄さという点でそう思う。ヴァイオリンの薄さが何ともいえない頼りなさと諧謔味を生むのではないだろうか。

 2曲目はブラームスの交響曲第1番。N響にかぎらず、どのオーケストラにとっても、この曲はもっとも大切なレパートリーのひとつだろう。名曲コンサートで取り上げる機会も多いだろうが、定期演奏会で演奏する際には、そのオーケストラがもっとも信頼できる指揮者と入念なリハーサルを重ねて演奏に臨むだろう。

 そんな特別な曲であることが伝わる演奏だった。快い緊張感があり、しかも聴衆をリラックスさせて演奏の中に引き込む。その演奏はやわらかいレガートが縦横に張り巡らされ、耳に心地よい。しかもそれとは対照的な硬い音も欠かさないので、一本調子に陥らない。どの部分をとっても内声部の豊かな動きが聴こえる。オーケストラ全体がソヒエフの指示によって一体的に動く。まるでソヒエフがオーケストラを通して歌っているようだ。

 なので、文句のつけようのない演奏だった。聴いていて、幸せになる。だが、と言いたくなるのは、わたしが悪いのだろうか。わたしは一瞬たりとも注意をそらさずに聴くことができたが、聴いている最中の幸福感にくらべると、聴いた後の充足感が弱かった。その演奏にはブラームスの内面的な葛藤がなかったからだ。ブラームスは何にたいして戦ったのか。その痕跡がきれいに消しとられていたからだ。

 わたしはN響の定期会員としてソヒエフへの評価は人後に落ちないつもりでいた。いや今でもそうだ。だが今回初めて小さな疑問を感じた。先日のAプロで聴いたショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」で感じた不満ともいえない思いの正体は、これだったのだろうか。
(2025.1.24.NHKホール)
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