Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

棟方志功展

2019年07月02日 | 美術
 府中市美術館で開催中の「棟方志功展」は、連作と大作に焦点を絞っている。

 なんといっても、「二菩薩釈迦十大弟子」(1939年)に惹かれる。棟方志功の代表作だが、全12点が並ぶと、思わず身が引き締まる。会場がすいていたので、一柵一柵(周知のように、棟方志功は「作」というところを「柵」といった)をゆっくり見ることができた。そのため、紙に飛び散った墨の滴や紙のしわが、リアルに目に飛び込んできた。

 会場には版木が2枚展示されている。墨がしみ込んだそれらの版木は、異様なほどの凄みがあった。墨そのものと化したような黒光りする表面を見ながら、各々の版木が目の前に並ぶ12柵の板画(棟方志功は「版画」というところを「板画」といった)のどれに当たるか、それを特定しようとして、しばらく時間がかかった。

 版木いっぱいに造形された二菩薩と十大弟子の、版木の型に沿って90度に傾げられた首や、窮屈そうに曲げられた腕など、それぞれのポーズから、逞しい生命感とユーモアが漂った。

 美しさの点でいうと、これも代表作の一つだが、「華狩頌」(はなかりしょう)(1954年)に惹かれた。右から左への流れと、左から右への流れとが、多層的に交錯し(それはまるでバレエのようだ)、しかも全体は三角形の安定的な構図に収まっている。繊細で華やかな作品だ。

 さらに作品を見ていくと、「群生の柵」(ぐんじょうのさく)(1957年)に惹かれた。「華狩頌」で感じた舞踊性と装飾性が、本作ではさらに徹底されている。古事記から想を得たという誕生の神々が、八曲一双の屏風に踊っている。それらの神々の中には、異形の神も混じる。木の葉の形が、ハート形とダイヤ形をしているのは、意図的か。

 驚いたのは、「大世界の柵 坤 人類から神々へ」(1963年)。縦2メートル弱、横13メートル弱という超大作だ。キャプションを読むと、多少の画面構成はあるようだが、むしろすべてが混然一体となっているように感じた。線が太いのは、その大画面に合わせたためだろうが、もう一つは、極度な近視だった棟方志功が、1960年には左目の視力をほとんど失ったので、その影響もあったかもしれない。

 わたしにとっての問題作は、「運命頌」(1951年)だった。ベートーヴェンが好きで、自宅にグランドピアノを置くほどだった棟方志功の、「運命」交響曲をモチーフにした連作だが、そこに彫り込まれたニーチェの「ツァラトゥストラはこう語った」の世界観は、ベートーヴェンの音楽とどう馴染むのか。
(2019.6.27.府中市美術館)

(※)本展のHP
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« アンサンブル・ノマド/高橋悠治 | トップ | 渡邉暁雄生誕100年 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

美術」カテゴリの最新記事