バッハ・コレギウム・ジャパンを率いる鈴木雅明さんは、昨年バッハ・メダルを受賞するなど、世界的な権威として認められるにいたり、同時代人としても嬉しい。
その鈴木さんは、国内のモダン・オーケストラでは、東京シティ・フィルを定期的に振っている。はじめはバロックから古典派、そして初期ロマン派までのレパートリーだったが、3回目の2010年にはマーラーの「巨人」を取り上げた。鈴木さんとマーラーの組み合わせが意外だったので、興味津々演奏会に臨んだ。清冽な緊張感を湛えた名演だった。
2011年もマーラーだった。そのときは交響曲第5番。2011年7月1日、まだ東日本大震災の余韻が生々しく残っている時期だった。鈴木さんは当初のプログラムにはなかったバッハのオルガン曲を2曲演奏して、追悼の意を表した後、マーラーを振った。全身全霊を込めた演奏だった。わたしが聴いたこの曲の演奏のなかで、もっとも感動的な演奏だった。思えばあの頃、外国人演奏家のキャンセルが相次いで、音楽界はガタガタだったが、その一方で、このような感動的な演奏会もあった。
そして今回は交響曲第4番。全3回のマーラーのなかでは、これが一番普通の演奏だったといったら、語弊があるかもしれないが――。第3楽章の安らぎに満ちた歌が美しく、鈴木さんはこれをやりたいがために、この曲を取り上げたのかと思ったが、その他の楽章では、特別なものを感じなかった。ソプラノの森麻季さんの歌唱にも、鈴木さんの様式との隙間を感じた。
順序が逆になったが、1曲目はヨーゼフ・マルティン・クラウスの「シンフォニア・ダ・キエザ」。クラウスはモーツァルトと同じ年に生まれ、モーツァルトが没した翌年に亡くなった。ドイツ人だが、スウェーデン宮廷に仕えたので、スウェーデンのモーツァルトと呼ばれている。昔この作曲家のことを知って、あれこれCDを聴いたことがある。交響曲ハ短調VB(ヴァン・ボーア番号)142などは名曲だと思った。クラウスを生で聴けるとは思ってもいなかったので、感慨深かった。
2曲目はモーツァルトの交響曲第25番。第1楽章の荒々しい表現にハッとした。泣きのモーツァルトではなく、怒りのモーツァルト、人生の悲劇――あるいは不条理――に直面して、我を忘れて怒るモーツァルト。第2楽章と第3楽章はどうということもなかったが、第4楽章で再び荒々しい表現に戻った。
(2013.1.18.東京オペラ・シティ)
その鈴木さんは、国内のモダン・オーケストラでは、東京シティ・フィルを定期的に振っている。はじめはバロックから古典派、そして初期ロマン派までのレパートリーだったが、3回目の2010年にはマーラーの「巨人」を取り上げた。鈴木さんとマーラーの組み合わせが意外だったので、興味津々演奏会に臨んだ。清冽な緊張感を湛えた名演だった。
2011年もマーラーだった。そのときは交響曲第5番。2011年7月1日、まだ東日本大震災の余韻が生々しく残っている時期だった。鈴木さんは当初のプログラムにはなかったバッハのオルガン曲を2曲演奏して、追悼の意を表した後、マーラーを振った。全身全霊を込めた演奏だった。わたしが聴いたこの曲の演奏のなかで、もっとも感動的な演奏だった。思えばあの頃、外国人演奏家のキャンセルが相次いで、音楽界はガタガタだったが、その一方で、このような感動的な演奏会もあった。
そして今回は交響曲第4番。全3回のマーラーのなかでは、これが一番普通の演奏だったといったら、語弊があるかもしれないが――。第3楽章の安らぎに満ちた歌が美しく、鈴木さんはこれをやりたいがために、この曲を取り上げたのかと思ったが、その他の楽章では、特別なものを感じなかった。ソプラノの森麻季さんの歌唱にも、鈴木さんの様式との隙間を感じた。
順序が逆になったが、1曲目はヨーゼフ・マルティン・クラウスの「シンフォニア・ダ・キエザ」。クラウスはモーツァルトと同じ年に生まれ、モーツァルトが没した翌年に亡くなった。ドイツ人だが、スウェーデン宮廷に仕えたので、スウェーデンのモーツァルトと呼ばれている。昔この作曲家のことを知って、あれこれCDを聴いたことがある。交響曲ハ短調VB(ヴァン・ボーア番号)142などは名曲だと思った。クラウスを生で聴けるとは思ってもいなかったので、感慨深かった。
2曲目はモーツァルトの交響曲第25番。第1楽章の荒々しい表現にハッとした。泣きのモーツァルトではなく、怒りのモーツァルト、人生の悲劇――あるいは不条理――に直面して、我を忘れて怒るモーツァルト。第2楽章と第3楽章はどうということもなかったが、第4楽章で再び荒々しい表現に戻った。
(2013.1.18.東京オペラ・シティ)