ラザレフが振った日本フィルの定期は全席完売だった。昨日は金曜日、今日も定期はあるが、今日も完売とのこと。ラザレフ人気なのだろう。
ラザレフは聴衆とのコミュニケーションがとれる指揮者だ。演奏終了後、聴衆に熱い投げキッスを送る。それはもう唾が飛ぶほどだ。けっしてスマートではないが(笑い)、ラザレフの熱さが感じられる。聴衆はそんなラザレフが好きなのだ。
人気の要因のもう一つは、指揮者としての能力だ。日本フィルのアンサンブルを立て直したことは、もういうまでもない。一時はガタガタになって、それに比例して聴衆も激減したが、ラザレフが就任してアンサンブルを立て直したら、聴衆も戻ってきた。聴衆とは正直なものだ。
そして3点目は、これも意外に本質的だが、聴衆を育てていることだ。プロコフィエフの交響曲全曲演奏では、日本フィルを立て直すとともに、聴衆にプロコフィエフと向き合う機会を提供した。プロコフィエフとはなにか、音楽史のなかでどういう位置を占めているのか――等々、わたしはプロコフィエフに目覚めた。
そして今はラフマニノフ。ラフマニノフは知っているつもりでいたが、こうして向き合ってみると、自分の理解がいかに浅薄であったかを感じる。ラフマニノフの根底にはロシアがあるとは、どの解説書にも書いてあるが、その意味を腹の底で受け止めてはいなかった。ラフマニノフにとってのロシアを理解することは、頭では無理で、‘本物’の演奏に触れて感じ取るしかないのだ。
さて昨日の演奏会、1曲目はラフマニノフのピアノ協奏曲第2番だった。ピアノは中国のハオチェン・チャン。1990年生まれ、まだ20代前半。だから当然かもしれないが、まだ線が細い。ラザレフ/日本フィルの線の太さに埋もれ気味だった。
アンコールに美しい小品が演奏された。「彩雲追月」という中国民謡だそうだ。曲も美しいが、ピアノの音が美しかった。早春の小川のせせらぎのように瑞々しい、といいたいくらい。
2曲目はラフマニノフの交響曲第3番。すべてのディテールがあるべき場所に収まり、その意味がしっかり把握された演奏。第1番、第2番を上回る名演だった。日本フィルのラフマニノフ理解が深まった――ラフマニノフに向き合うスタンスができた――ように感じられた。ラザレフは大熱演。第1楽章ではメガネを飛ばし、第2楽章では客席に向かって指揮をした。
(2013.1.25.サントリーホール)
ラザレフは聴衆とのコミュニケーションがとれる指揮者だ。演奏終了後、聴衆に熱い投げキッスを送る。それはもう唾が飛ぶほどだ。けっしてスマートではないが(笑い)、ラザレフの熱さが感じられる。聴衆はそんなラザレフが好きなのだ。
人気の要因のもう一つは、指揮者としての能力だ。日本フィルのアンサンブルを立て直したことは、もういうまでもない。一時はガタガタになって、それに比例して聴衆も激減したが、ラザレフが就任してアンサンブルを立て直したら、聴衆も戻ってきた。聴衆とは正直なものだ。
そして3点目は、これも意外に本質的だが、聴衆を育てていることだ。プロコフィエフの交響曲全曲演奏では、日本フィルを立て直すとともに、聴衆にプロコフィエフと向き合う機会を提供した。プロコフィエフとはなにか、音楽史のなかでどういう位置を占めているのか――等々、わたしはプロコフィエフに目覚めた。
そして今はラフマニノフ。ラフマニノフは知っているつもりでいたが、こうして向き合ってみると、自分の理解がいかに浅薄であったかを感じる。ラフマニノフの根底にはロシアがあるとは、どの解説書にも書いてあるが、その意味を腹の底で受け止めてはいなかった。ラフマニノフにとってのロシアを理解することは、頭では無理で、‘本物’の演奏に触れて感じ取るしかないのだ。
さて昨日の演奏会、1曲目はラフマニノフのピアノ協奏曲第2番だった。ピアノは中国のハオチェン・チャン。1990年生まれ、まだ20代前半。だから当然かもしれないが、まだ線が細い。ラザレフ/日本フィルの線の太さに埋もれ気味だった。
アンコールに美しい小品が演奏された。「彩雲追月」という中国民謡だそうだ。曲も美しいが、ピアノの音が美しかった。早春の小川のせせらぎのように瑞々しい、といいたいくらい。
2曲目はラフマニノフの交響曲第3番。すべてのディテールがあるべき場所に収まり、その意味がしっかり把握された演奏。第1番、第2番を上回る名演だった。日本フィルのラフマニノフ理解が深まった――ラフマニノフに向き合うスタンスができた――ように感じられた。ラザレフは大熱演。第1楽章ではメガネを飛ばし、第2楽章では客席に向かって指揮をした。
(2013.1.25.サントリーホール)