平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

ごくせん再放送 学園ドラマを考える

2009年06月24日 | 学園・青春ドラマ
 「ごくせん」の再放送を見ながら考える。

★「ごくせん」はテレビが描いてきた学園ドラマのひとつの完成型ではないか。
 まず主人公の教師像。
 過去、学園ドラマは暴走族あがりの教師(=GTO)、弁護士で受験のプロの教師(=ドラゴン桜)など、教師にもうひとつの何かを掛け合わせることで<新しい教師像>を描いてきた。
 「ごくせん」では先生×ヤクザの組長の娘。
 この王道を行っている。

 教頭や教育委員会が敵なのも「飛び出せ青春!」から始まる学園ドラマの王道。
 生徒たちから新しいスターが出て来るのもそう。(例えば、過去で言えば「金八先生」)
 「ごくせん」はこれらの要素も満たしている。

★さて「ごくせん」以降の学園ドラマはどうか?
 「太陽と海の教室」「学校じゃ教えてくれない」「生徒諸君!」……どれもイマイチ。
 この学園ドラマの不調はどうだろう?
 「花ざかりの君たちへ」「メイちゃんの執事」「花より男子」も学園ドラマだろうが、そこに教師はいない。
 教師不在の方が学園ドラマは盛り上がる。
 新しい教師像が枯渇してしまったのか?
 確かにそれもあるだろうが、一番大きいのは主人公の先生が戦う相手がいなくなってしまったこと。
 <教頭・教育委員会><受験戦争><不登校><いじめ><性>。
 先生の戦う相手として、これらが挙げられると思うが、どれも素材として古くなっている。
 <受験戦争>では「ドラゴン桜」があるし、<いじめ>では「女王の教室」、<性>では「金八先生」といった名作がある。
 そして新しい作品はこれらの作品を越えられないでいる。
 <教頭・教育委員会>が敵だと言うと視聴者は「ああ、またか」と思ってしまう。
 その点「ごくせん」は敵である<教頭・教育委員会>をうまくパロディ・記号にして成功している。
 そう、ある意味「ごくせん」は今までの学園ドラマのパロディなのだ。

★さて様々な意味で息詰まってしまった学園ドラマ。
 今後新しい教師像は現れるのだろうか?
 今の若い人はいろいろ悩みを抱えているのだろうが、彼らの悩みに答える明確なメッセージを学園ドラマやその教師たちは伝えられずにいる。
 金八先生はただの<ウザい親父>になってしまった。
 まあ言ってみれば、それだけ世の中が複雑になってしまったということだろう。

 今こそ作家は新しい学園ドラマ、教師像を模索すべき。
 学園ドラマのパロディ「ごくせん」を越えるオリジナリティのある新しいものを生み出してほしい。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする