平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

天地人 第24回「戸惑いの上洛」

2009年06月15日 | 大河ドラマ・時代劇
「戸惑いの上洛」

 見ている方が戸惑ってしまう。
 うーむ、どうしてこうなってしまうんだろう?

 物語上、今回しなくてはならないのは上杉側が秀吉(笹野高史)に一矢報いること。
 <義>を見せること。
 前半はまだいい。
 名刀ではなく金の太刀袋を喜ぶ秀吉に対し不快に思う景勝(北村一輝)。
 これで景勝というキャラが立つ。
 お涼(木村佳乃)が「さすが上杉様」と言うのもいい。これでさらに景勝のキャラが立つ。
 しかし、その後は……ひたすら忍従。

 挽回のチャンスは福島正則(石原良純)の饗応の場面。
 ここで福島に一矢報いるのは景勝でなくてはならない。
 上杉の<義>を示して福島を屈服させなくてはならないのにそれをやったのはお涼。
 女性に救われる上杉って……???

 まあ百歩譲って景勝はこれでよしとしよう。
 脇役だし。
 本当は福島などは及ばぬ器の大きさを見せて欲しかったが……。
 ここで存在感を示さなくてはならないのは主人公の兼続(妻夫木聡)。
 その知略もしくは<雪解け水の様な人柄>で福島ら豊臣の人間に「さすが」と言わしめなくてはならないのにただヘラヘラしているだけ。
 <愛>の字の意味を聞かれたら、しっかり<仁愛>の愛であると答えるべきなのに<愛染明王>の愛と答えてしまっている。
 簡単に妥協してしまう兼続の<愛>とは何か?
 仮にも自分の根本を示す言葉ではないか。それを簡単に曲げてしまうとは!
 おまけにお涼にフラフラ。
 さらに悪いことに景勝の病気に気がつかない。
 これで紅葉の家臣と言えるか?

 景勝を守るため、上杉の<義>を貫くため、切腹覚悟で豊臣側と戦うのが主人公・兼続ではないか?
 兼続はもはや主人公ではない。
 人間としての深みも信念もない。
 困難に相対してただ指をくわえて見ているだけ。情況に流されているだけ。
 今回のサブタイトルを借りればただ「戸惑っているだけ」。
 これで主人公と言えるか。
 少なくとも<愛>にこだわってほしかった。

 迷走、迷走、迷走である。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする