最終話
ラストシーンは橋の上を歩いてくる野口家と小沢家。
<取り戻した両家の笑顔><未来へ生きる意思>。
このラストをどう見るか?
このふたつの家族は橋の上で出会わないんですよね。道路を挟んだ橋の両端を歩いてすれ違うだけ。
ニアミス。
これの意味する所は何か?
もし出会ってたら両家の笑顔はなくなる。笑顔は凍りつき心の中に嵐が吹き荒れる。
一見幸せに見えても彼らは十字架を背負って生き続ける。
ニアミスかそうでないかのちょっとした偶然で崩れてしまう幸せな日常。
思えば智也(嘉数一星)の殺人もそうだった。
ちょっとした歯車の違いで起こってしまった事件。壊れる平和な日常。
そんなことを暗示させるラストでしたね。
まあ、ここはプラス思考で考えましょう。
すなわち、すぐに崩れてしまうほんのわずかな時間かもしれないが、家族が幸せに笑って過ごせる一瞬一瞬こそが重要なのだ。
一瞬一瞬を大事に生きていくべきなのだと。
少なくとも野口家、小沢家には強い絆がある。
苦しみを共有し乗り越えてきた結果生まれた絆。
もしこの事件がなければ、家族はバラバラでこれほどの結びつきを得られなかっただろう。
笑顔でいられる一瞬一瞬の大事さに気づかなかっただろう。
この様に様々なことを考えさせてくれるラストシーン。
ではエンディングの花束贈呈はどうか?
ラストシーンの余韻を壊してしまっていることは否めない。
さつき(稲森いずみ)や聖子(板谷由夏)は決して解放されたわけではなく苦しみは続くわけだからその暗示を壊してしまう。
でも演じていた役者さんにしてみれば……。
クランクアップの花束贈呈はさつきや聖子という役柄から稲森いずみ、板谷由夏という人間に戻る儀式。
まあ良しとしましょう。
最後に今回の中盤はやきもきしましたね。
智也は自分の犯した罪について叱られたがっているのにさつきたちは優しく接するばかり。
悪いことは悪いと叱ることこそ大事だし、叱ることで逆に愛情を感じることもある。
まださつきたちはわかっていない。
でも最後についにさつきは智也を叱って抱きしめた。
<叱って抱きしめる>、子育てにはこれが重要なことなんですね。
ラストシーンは橋の上を歩いてくる野口家と小沢家。
<取り戻した両家の笑顔><未来へ生きる意思>。
このラストをどう見るか?
このふたつの家族は橋の上で出会わないんですよね。道路を挟んだ橋の両端を歩いてすれ違うだけ。
ニアミス。
これの意味する所は何か?
もし出会ってたら両家の笑顔はなくなる。笑顔は凍りつき心の中に嵐が吹き荒れる。
一見幸せに見えても彼らは十字架を背負って生き続ける。
ニアミスかそうでないかのちょっとした偶然で崩れてしまう幸せな日常。
思えば智也(嘉数一星)の殺人もそうだった。
ちょっとした歯車の違いで起こってしまった事件。壊れる平和な日常。
そんなことを暗示させるラストでしたね。
まあ、ここはプラス思考で考えましょう。
すなわち、すぐに崩れてしまうほんのわずかな時間かもしれないが、家族が幸せに笑って過ごせる一瞬一瞬こそが重要なのだ。
一瞬一瞬を大事に生きていくべきなのだと。
少なくとも野口家、小沢家には強い絆がある。
苦しみを共有し乗り越えてきた結果生まれた絆。
もしこの事件がなければ、家族はバラバラでこれほどの結びつきを得られなかっただろう。
笑顔でいられる一瞬一瞬の大事さに気づかなかっただろう。
この様に様々なことを考えさせてくれるラストシーン。
ではエンディングの花束贈呈はどうか?
ラストシーンの余韻を壊してしまっていることは否めない。
さつき(稲森いずみ)や聖子(板谷由夏)は決して解放されたわけではなく苦しみは続くわけだからその暗示を壊してしまう。
でも演じていた役者さんにしてみれば……。
クランクアップの花束贈呈はさつきや聖子という役柄から稲森いずみ、板谷由夏という人間に戻る儀式。
まあ良しとしましょう。
最後に今回の中盤はやきもきしましたね。
智也は自分の犯した罪について叱られたがっているのにさつきたちは優しく接するばかり。
悪いことは悪いと叱ることこそ大事だし、叱ることで逆に愛情を感じることもある。
まださつきたちはわかっていない。
でも最後についにさつきは智也を叱って抱きしめた。
<叱って抱きしめる>、子育てにはこれが重要なことなんですね。