平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

氷室冴子先生の一人称の文体

2009年06月18日 | 小説
 氷室冴子先生が亡くなられて一年になるんですね。
 なので今回は先生の得意とされた一人称の文体について。

 寄宿学校を舞台にした「アグネス白書」では次の様な表現がある。
 寄宿舎の起床が6時半であることが判明して
『私ってどこか抜けてるのか、そういう細かい舎則なんて詳しく調べなかったんだ。自業自得といえばいえるけど、あんまりよ。吉屋信子の小説にある寄宿舎は起床が朝六時半とは書いてなかったよ。
 ああ、もう、こんなことを書いていると落ち込んでくるのでやめる。ともかく地獄的にせつないわ。(地獄的というのはクララ舎の専用語。地獄的、天国的と使う)』
 主人公が寄宿舎に入るきっかけになったシスター・アンズウァリスが転勤してしまった時にはこんな文章。
『ひとつのことに気を取られると、まわりのことは何も見えなくなる性格がタタってしまった……。でも、ひどいと思わない? こっちに残る決心をした半分はシスター・アンズウァリスのためだったというのに。私、泣いたわ』

 実にイキイキとした一人称。
 主人公のしのぶが「ねえ聞いてよ」と読む者に語りかけてくる感じが心地いい。
 <吉屋信子の小説>や<地獄的>という言葉、<私、泣いたわ>と最後につけ加える所が文章を楽しくさせている。
 こんな描写もある。
 寄宿舎で夕食前に神様に祈ることについて
『我が家は浄土真宗でキリスト教には縁のない育ちだけど、なぜかこの食前の祈りが気に入っている。なんとなく敬虔な感じがするでなはないの。第一、絵になる。寄宿舎に憧れたのは、こういう映画みたいなおしゃれなシーンを演じてみたかったからでもあるの、実は』

 一人称、特に会話体の文体は作者の感性がそのまま表れる。誤魔化せない。
 主人公=作者の分身と考えると、この様な主人公を描かれた氷室先生ってどの様な方だったんだろうと思ってしまう。
 その死は本当に惜しい。

 前回も書いたが、どこかの出版社さん、ぜひ氷室冴子全集を出して下さい。

 「追悼 氷室冴子先生」の記事はこちら


コメント
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