秀勝(AKIRA)の死の後日談。
すべてがフツーなんですよね。
最愛の夫が亡くなれば、泣いたり落ち込んだりするのは当然だし、ガラシャ(ミムラ)が「ひとりの方をそれほど思えるのは幸せ」と慰めるのも、淀(宮沢りえ)が「鶴松を失った自分も同じだった」と語るのも当たり前。
だから見ている方は「そうなんだ」と思うくらいで、江(上野樹里)に大きく感情移入することもない。
秀勝の手紙も今ひとつだった。
江と秀勝の結婚に至る過程や結婚生活が、十分に描かれてこなかったため、迫るものがない。
なので手紙も、江と過ごした日々のことではなく、朝鮮の子供と過した話。
史実を気にしたのか、生まれた子供・完に関する記述も手紙にない。「そなたに何を残してやれたのか?」などと惚けたことを言っている。
いくさの愚かさや虚しさも言葉にしたら興ざめだ。
こういうのはせりふで言わずに、エピソードなどで視聴者に感じさせることが必須。
というわけでこの作品はすべてにわたって説明過多。
わかりきったことをストレートに語り過ぎる。
まあ、敢えて深読みすれば、次の二点。
★現実主義者
江は「天上で父上や母上、柴田の父や叔父上(信長)、秀勝がのんびりと暮らしている。」と初(水川あさみ)に言われても納得しない。
「それでもそばにいてほしい。共にいて、触れたり、話したり、笑ったりしたい」と語る。
江は現実主義者なのだ。
決して宗教にすがろうとは思わない。
この点は信長に似ている。
★母性
最後の最後で江はやっと母性に目覚めた様だ。
それまでは生まれてきた娘を抱こうとしなかった。
母という自分を見いだして、江の行動、生き方は変わっていくのだろうか?
上野さんにはぜひ<母の顔>を見せてほしい。
今のままだと、天守閣で娘を抱いていても人形を抱いている様に見える。
すべてがフツーなんですよね。
最愛の夫が亡くなれば、泣いたり落ち込んだりするのは当然だし、ガラシャ(ミムラ)が「ひとりの方をそれほど思えるのは幸せ」と慰めるのも、淀(宮沢りえ)が「鶴松を失った自分も同じだった」と語るのも当たり前。
だから見ている方は「そうなんだ」と思うくらいで、江(上野樹里)に大きく感情移入することもない。
秀勝の手紙も今ひとつだった。
江と秀勝の結婚に至る過程や結婚生活が、十分に描かれてこなかったため、迫るものがない。
なので手紙も、江と過ごした日々のことではなく、朝鮮の子供と過した話。
史実を気にしたのか、生まれた子供・完に関する記述も手紙にない。「そなたに何を残してやれたのか?」などと惚けたことを言っている。
いくさの愚かさや虚しさも言葉にしたら興ざめだ。
こういうのはせりふで言わずに、エピソードなどで視聴者に感じさせることが必須。
というわけでこの作品はすべてにわたって説明過多。
わかりきったことをストレートに語り過ぎる。
まあ、敢えて深読みすれば、次の二点。
★現実主義者
江は「天上で父上や母上、柴田の父や叔父上(信長)、秀勝がのんびりと暮らしている。」と初(水川あさみ)に言われても納得しない。
「それでもそばにいてほしい。共にいて、触れたり、話したり、笑ったりしたい」と語る。
江は現実主義者なのだ。
決して宗教にすがろうとは思わない。
この点は信長に似ている。
★母性
最後の最後で江はやっと母性に目覚めた様だ。
それまでは生まれてきた娘を抱こうとしなかった。
母という自分を見いだして、江の行動、生き方は変わっていくのだろうか?
上野さんにはぜひ<母の顔>を見せてほしい。
今のままだと、天守閣で娘を抱いていても人形を抱いている様に見える。