平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

龍馬伝 第38回「霧島の誓い」

2010年09月20日 | 大河ドラマ・時代劇
 龍馬(福山雅治)とお龍(真木よう子)の霧島登山。いい雰囲気。
 でも<天の逆鉾>を抜いてしまった!? いいのか?

★残念なのは、お龍といっしょにいても龍馬の心が」別の所にあったこと。
 お龍さんといっしょにいる時くらいは、「自分が何をすべきか」ではなく、お龍さんと向き合ってあげればいいのに。
 先週はお龍に「いっしょに闘ってくれ」と言ったのに、今週は全くその気配がない。
 お龍は置いてきぼりで、龍馬は自分の世界に。
 そして場面が変わって長崎では、お龍さん、そんな龍馬のことを理解して送り出している。
 「今こそ誰かがこの国の行く道を見定め、行動し、皆を動かして行かんといかん。これがわしの決意の証ぜよ!」
 という霧島の誓いで、お龍は納得したということなのだろうが、納得に至るまでには彼女の中で様々な葛藤があったはず。
 例えば、<いっしょに闘ってくれと言ったのになぜわたしを頼りにしてくれないの?><でも龍馬さんは大きな仕事をする人。私などに関わっていてはいけない>みたいな。
 この葛藤を描いてこそドラマなのにそれが抜け落ちている。

 内蔵太(桐谷健太)とお元(蒼井優)の関係もいつの間に?
 おそらくお元の中には<龍馬に対する想い>とか<信仰の問題>とか様々な思いがあったはず。
 そんな思いの中での内蔵太との関係を描かなければならないのに、それ描写が抜け落ちている。

 それらを描いている時間がないと言われればそれまでだが、だったらシーズン2にあれだけ時間を割く必要はなかった。

★政治描写についても相変わらず。
 「今こそ誰かがこの国の行く道を見定め、行動し、皆を動かして行かんといかん」
 「わしらは長州のためでも薩摩のためでもなく、日本人として、この国のために戦うがじゃ」
 とかけ声は威勢がいいが、戦略が伴っていない。

 これらの理想や理念をどう実現していくか。この部分で龍馬はいつもつまずいている。
 「龍馬伝」の龍馬はいつもかけ声ばかりだ。
 確かに<薩長同盟>は龍馬の理想の実現であっただろう。龍馬が初めてつまずかなかった瞬間。
 だが、その後がまずい。
 長州、幕府が龍馬の思惑を越えて勝手に動き始め、いくさを始めた。一方、薩摩は動かない。
 龍馬の<理想><理念>はまたもや現実の中で空回りしてしまっている。

 ドラマや小説は時代の反映と言われるが、龍馬の情況は鳩山元首相の「普天間基地移設」に似ている。
 <基地を沖縄県外に移設する>と理想を掲げたのはいいが、アメリカ・沖縄県民の板挟みにあって頓挫。
 結果、大混乱。
 龍馬も鳩山首相と同じだ。

 まあ、現実と理想・理念は違うものだし、組織を背景に持たない龍馬には当たり前の結果だとは思うんですけどね。
 でも薩長同盟締結の後のシナリオは龍馬の中でしっかり見えていてほしかった。
 締結後に起こることを想定していくつものシナリオを用意しているしたたかな龍馬であってほしかった。
 今のままではあまりにも行き当たりばったりすぎる。
 これでは凡人と同じだ。

★それから……
 「わしらは日本人として、この国のために戦うがじゃ」
 考えてみると龍馬はこのせりふをシーズン2から言っていますよね。
 龍馬の基本理念なので何度も繰り返されて語られるのはいいのですが、ちょっと聞き飽きた。
 この段階ではもう少し深化したせりふが語られてもいいのでは?

<追記>
 あげ足をとるつもりはないが、今回のタイトルは「霧島の誓い」。
 秋になり一年の3/4が過ぎたこの時期に<誓い>を立てられてもねえ。
 この時期は大河ドラマの主人公のあり方として<誓い>などしている時期ではないと思うのですが。


コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゲゲゲの女房~苦しくてもやってしまうことが本当に好きなこと

2010年09月18日 | ホームドラマ
 ひさしぶりにホームドラマを見た感じである。
 親と子、おじいちゃん、おばあちゃんが<ちゃぶ台>を囲んで夕食を食べる。
 そしてバカ話に花が咲いて。

 懐かしい昭和の風景。
 以前の「ウェルかめ」はチラッと見ただけだが、平成の風景。
 主人公夫婦ふたりだけの食事。
 おまけに夫婦はお互いに仕事が忙しくて、独りで食べることも日常茶飯事。
 結構味気ない。
 「ゲゲゲの女房」が高視聴率で支持を受けているのもこういう懐かしさがあるからだろう。

 本日土曜日の茂(向井理)の言葉には納得。
 学校の仕事で悩んでいる藍子(青谷優衣)に茂はこう語る。
 「うまくいかないときは焦らず好機の到来を待て」
 「努力している時は悩むもの」
 「本当に好きなこととは、悩んで苦しくてもやってしまうこと」
 仕事というのは<うまくいかないこと><悩むこと>がいっぱいですからね。
 でも仕事を長く続けていると、この茂の心境になる。

・仕事にはうまくいかない時もうまくいく時もある。不遇の時もいい時もある。
・<人事を尽くして天命を待つ>ではないが、自分はベストを尽くしたんだから結果は天が決めてくれると開き直ることも時には必要。
・また壁にぶつかって悩んでそれを突破した時、人は学んでいく。プロフェッショナルに鳴っていく。
 偉そうですが、悩んで辞めたいと言っている藍子を見て僕は「何を言ってるんだ。新人が出来ないのは当たり前。壁にぶつかりながら少しずつ一人前になっていくんだろうが」と思いましたもの。
・そして、苦しくてもやってしまうのが本当に好きなこと。
 たとえばピアニストは何時間もピアノに向かう。プロ野球のバッターは何時間もバットを振る。それは大変で苦しいことかもしれないが、苦しさを突き抜けて技術がアップした時、最高の歓びを見出せる。あるいはやってる本人は苦しいことを含めて楽しんでいる。あるいはつらい練習をしないと物足りない。
 僕はこの心境にはまだまだですが、おそらく正しい。

 「ゲゲゲの女房」は結構大切なことを学ばせてくれます。
 せっかく時間をかけて見ているのだから、何かを学ばないのはもったいない。

※追記
 月曜日の食卓の風景が面白かった。
 就職のことでケンカをしている茂と藍子。
 そのふたりが同時にしょうゆを取ろうとして手をのばし引っ込める。
 すると次の瞬間、藍子が茂に譲らずしょうゆを手に取る。

 これだけの無言のやりとりだが、ふたりの心の中がよく現れている。
 同時に同じモノを取ろうとして手を引っ込める気まずさ。
 父親への怒りの表明としてしょうゆを譲らない行為。
 実に上手い。

※追記
 木曜日の竹下景子さんと古手川祐子さんがふたりで夫婦について話すシーンも圧巻。
 まさに夢の競演。
 おふたりともこういうおばあさんの役をやるようになったんですね。

※追記
 火曜日の浦木(杉浦太陽)が喫茶店で成長した藍子を見て言ったせりふも面白かった。
 「ちょっと見ぬ間に別人のように成長したな」
 確かに小学生の藍子から大人になった藍子までテレビのオンエアでは1週間ぐらいしか経っていませんからね。
 これはアドリブ? あるいは作家さんの遊びせりふ?


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

はいだしょうこ~子供と親を熱狂させる歌の力

2010年09月17日 | 監督・俳優・歌手・芸人
 12日日曜日の「情熱大陸」で歌手のはいだしょうこさんを紹介していた。
 バラエティなどでは、おっとりのしょうこお姉さん。
 でも歌になると輝き出す。
 ご本人もインタビューで話されていたが、
 「歌を歌っている時が一番自分を表現できる」のだそうだ。
 こうやって自分を表現できる手段を持っている人って幸せですね。

 番組でははいださんが、毎週土曜日と日曜日に全国のどこかでやっている『ファミリーコンサート』を紹介。
 会場には小さな子供を連れたママ、パパが詰めかけている。
 そしてコンサートが始まると、子供たちはいっしょに歌い踊り出し、親たちは思わず身を乗り出して会場はたちまち熱狂の渦に。
 あるお母さんなどは「歌が始まると鳥肌が立った」と感動を伝えていた。
 こんな会場の熱気をはいださんはこんなふうに表現する。
 「わたしの歌で子供たちは自然と笑顔になる。笑ってる子供たちを見て親たちが笑ってくれる。親たちが喜んでいるのを見て、子供たちはもっと楽しくなる」
 歌を通じて、喜びがどんどん伝播していき、会場が喜びでいっぱいになるのだ。
 これはすごいことだ。
 きっと子供たちは囚われがないから素直にはいださんの歌を受けとめられるのだろう。
 そして親の子供に対する気持ちも囚われがないから素直に子供の喜び、ときめきが伝わってくる。
 これが歌の力! コンサートの力!
 そして、はいださんの歌の力!

 こういう祝祭空間を作れる人こそが本物歌手であり、ディーバ!

 こういうブログを書いていると、批評っぽく物事を見てしまいますが、本当は子供たちのように素直に感じればいいのかもしれませんね。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホタルノヒカリ2 ふたりがたどりついた結論

2010年09月16日 | 恋愛ドラマ
 お互いのありのままを受け入れること。
 相手に変わることを強要しないこと。
 ただし家では縁側で一緒に時を過ごすこと。

 これが蛍(綾瀬はるか)と部長(藤木直人)がたどりついた結婚生活のようです。
 まあ、結婚生活のあり方はカップルが100組あれば100とおり。
 一番しっくり来る形にふたりで試行錯誤しながら作っていくということなんでしょうね。
 シーズン2はその試行錯誤を描いた作品。

 というわけで<一番しっくり来る結婚の形>。
 既に結婚している夫婦も結婚間近のカップルもぜひ考えてみたいテーマです。
 どうすれば自分が自分らしくいられて自分も相手も幸せに出来るのか?
 その際に一番まずいのはお互いに向き合わなくなること。
 蛍と部長は性格・考え方などまったく違いますが、お互いまっすぐに向き合っている。
 蛍は出来ないながらも必死だし、部長は大きな大人の目で蛍を見ている。
 このことがふたりの絆を作っている。
 この作品で<縁側>は重要なポイントですが、縁側で話すことが実はその絆づくりの元になっている。
 こういう場所を持てた蛍と部長は幸せですね。
 家庭ではない他の場所を求めている妻、家庭に居場所がない夫ではつらいですから。
 さて、自分の場合はどこだろう。


※追記
 部長の蛍への言葉。
「まず自分の幸せとは何かを考えなさい。自分の幸せがわからない人間に他人を幸せに出来るのか?」
 実に深い。
 まず相手が幸せを感じていないのなら、それを埋めようとして無理をしてふたりの幸せなどなくなってしまうという思い。
 そして相手に自分の幸せを押しつけず相手の幸せを優先させる姿勢。
 つまり相手が幸せなら自分も幸せだという深い愛。
 パートナーが迷っていたら、この部長の姿勢を見習って、まずパートナーに「自分の幸せとは何か」を考えてもらうことにしよう。

※追記
 それにしても、部長も言っていましたが、蛍は強いですね。
 絶対に変わらない。
 これを別の見方をしてみれば、強情で、ある意味自己中。
 そして今回は<一生干物女>宣言。
 瀬乃(向井理)も言っていましたが、蛍のような女性は普通の男には結構つらい。
 最初はダメっぷりや一生懸命さが可愛いかもしれないが、次第にきつくなってくる。
 掃除をしないだらしなさも気になるだろうし、毎日があんなお祭り騒ぎではつかれてしまう。食事だってたまには手の込んだものを食べたいと思う。
 だから許容範囲の大きい部長のような人間でないと受け入れられない。

※追記
 ドラマとしては良い意味でも悪い意味でも<雨宮蛍>に尽きる。
 ともかく蛍のドラマ。
 蛍のキャラが強く、蛍中心に描かれてしまうため(主人公なので当たり前なのだが)、他の脇キャラの描き込みが薄くなってしまう。
 特に瀬乃なんかはもっとどんな人物なのか知りたい。
 彼は部長とともに蛍を理解している人物だが、若くしてあんなふうに的確なアドバイスが出来るのはなぜ? どんな生活をしているのか? etc
 瀬乃がもっと描かれればドラマがもっと引き締まったのではないかと思う。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JOKER ジョーカー 問題提起だけで終わってしまった

2010年09月15日 | 推理・サスペンスドラマ
 エンタテインメントは論文ではないので明確な結論はなくていいのだけれど、結局何を言いたかったのだろう。
・法で裁くことの出来ない悪は裁いていい。
・JOKERは必要悪で、自分の判断で人を裁くという罪を背負えば許される。
・ただし三上(大杉漣)のようにJOKERを守るために罪のない関係のない人を殺すことは許されない。

 単なる偶然か「逃亡弁護士」も同じテーマを扱っていましたが、難しい問題ですね。
 確かに<法>には様々な抜け道があり、裁けない悪が世の中になるのは確か。
 犯人であることが明白な人間が無罪で釈放されれば被害者の関係者はすごく理不尽を感じるだろう。
 でも勝手に裁いていいのか?

 このドラマではこの問題提起だけで終わっていて、これ以上に突っ込んだテーマの深化は行われていない。
 僕はあくまで法にこだわって、法の中で悪を正そうとする刑事達、たとえば「相棒」の右京さんのような人が好きですけどね。
 まあ、難しく考えずに現代版仕事人の娯楽作品としてとらえることにします。

 ただ娯楽作品としてもイマイチ。
 三上が犯人であることは推理小説を読んでる人ならすぐわかるし、DNA鑑定で判明するというのも安易。
 あすか(杏)の乗った車に三上が乗っていてさらわれるのも見え見え。
 あすかがディスクを隠していた場所も説得力がないし、自白剤で場所を聞き出すというのも芸がない。
 ディスクの数字もすごい暗号かと思いきや、ただの緯度。

 ひねりがあったとすれば、井筒(鹿賀丈史)が取り引きをして影の警察に入ったこと。
 ラストで伊達(堺雅人)が影の警察のことを調べるためにJOKERをやっている?というネタフリがあったが、それはひねりすぎとしても、井筒の件は上手い。

 あとは久遠(錦戸亮)と伊達のやりとり。
 三上が連行されて久遠は伊達に言う。
 「俺があんたの分も背負うからさ。肩貸してくれない?」
 ボーイズラブな雰囲気のあるいいせりふだと思います。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近のCM~やっぱり黒木メイサが好き!

2010年09月14日 | その他
 最近、面白かったCM。
 まずは伊藤淳史さんでお馴染みの缶コーヒー・BOSS贅沢微糖。
 今回のものは本当に<ぜいたく>だと思う。
 伊藤さんが蕎麦屋に入ると、笑点の山田隆夫さんが座布団を持ってきてくれる。
 続いてヨネスケ師匠が「となりの晩ご飯」で乱入。
 次に「王様のブランチ」でお馴染みのはしのえみさんが演じる<姫>が蕎麦をおごってくれる。
 そして店の奥ではギャル曽根さんが蕎麦の大食いをしている。
 最後にテレビでは、松本あゆ美、山岸舞彩、高樹千佳子さんの各局のお天気キャスターが天気予報をしている。
 これはすごい!
 何しろ日テレ、TBS、フジテレビなどの名物キャラクターが局の枠を越えて登場しているのだから。
 こんなぜいたくなことはない。

 ぜいたくと言えば、docomoのCM。
 渡辺謙さんが携帯をやっているだけでもぜいたくだが、今回は何とダースベイダーと共演している。
 こんなぜいたくなことはない。

 話は変わるが、最近CMは物語化しているようだ。
 ソフトバンクの白戸家が火をつけたようだが、傑作なのは『ダイワマン』。
 役所広司さんが<役所広司>として登場している。
 「ダイワハイチュ」とせりふを噛んだり、ダイワマンの着ぐるみに入るのを拒んだり、CM制作の現場で現実にありそうなエピソード。
 実際の役所さんはこのようなことはないだろうが、まさに虚実皮膜。
 ダイワマンを拒んだ時、「唐沢寿明なんかいいじゃない」と言って、実際に唐沢さんが来たことには驚いたが、今回の『ダイワウーマン』も秀逸。
 『ダイワウーマン』の着ぐるみに入るように言われて、役所さんは「黒木メイサなんていいじゃない」と黒木さんを推薦する。
 前回の唐沢さんの流れでは、ここで黒木さんが来ると視聴者は予想するが、何と違う展開。
 役所さんは監督に「黒木メイサが好きなんだ?」と問いつめられる(笑)
 この裏切り方が上手い!
 そして、しみじみ思うのは、われわれ中年男は<黒木メイサが好き!>
 あの若さであんな色気のある女性っていませんよね。
 沢尻エリカ様はセクシーで売ろうとしているようだが、彼女に比べたらてんで子供。
 黒木メイサさん、これからどこまで行くんだろう?
 次回の『ダイワウーマン』のCMではぜひ黒木さんを出演させてほしい。

 というわけで、テレビではCMもエンタテインメント。
 15秒・30秒で描かれるひとつの作品。
 エコカー補助金が切れて自動車のCMなどは激減するかもしれませんが、今後も面白いCMを期待しています。


コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

龍馬伝 第37回「龍馬の妻」

2010年09月13日 | 大河ドラマ・時代劇
 先週に引き続き、お龍(真木よう子)さんの表情がいい。

・怪我が半ば癒えて西郷(高橋克実)に龍馬(福山雅治)が「薩摩で静養しろ」と言われた時の哀しそうな表情。お龍はこれで龍馬と同じ時を過ごせなくなると思った。
・薩長同盟の朱書きをする龍馬を助けた時、お龍は誇らしげな表情で事を為し遂げた龍馬を見つめていた。
・妹を助けるために借りたお金を返す時は、いつもの気持ちを隠した無表情。
・そして「お前もいっしょに薩摩に行くがじゃ」「わしらは夫婦になるがじゃ」と言われた時の涙。
・亀山社中で仲間に紹介された時は、少し困惑したような女房の顔。
・引田屋での歓迎会で居心地悪さを感じていたが、龍馬が遅れて姿を現した時のうれしそうな顔。
・お元(蒼井優)に嫉妬した時の顔。
・「お前もいっしょに戦うがじゃ。坂本龍馬の望みをかなえるために。わしらはひとつぜよ」と言われた時の顔。

 どれも微妙に表情が違う。
 お龍はせりふが少ないですからね、必然、表情で演技をしなくてはならない。
 それが見事!
 龍馬の初恋の相手・加尾を演じた広末涼子さんは「おくりびと」にも出演された女優さんだが、表情の引き出しは少ない。
 しかしお龍の真木よう子さんは実に豊富。
 もし再放送をなどを見られる機会があれば、お龍さんの表情だけに注目して見てみるというのも一興。

 歴史パートとしては、喀血した高杉(伊勢谷友介)と怒りの一橋慶喜(田中哲司)をラストに見せて、その対立の図式を描いた。
 山内容堂(近藤正臣)は風向きの変化を感じた様子。
 後藤象二郎(青木崇高)も<自分に屈辱を与えた下士>という龍馬観を変えなくてはならないことを覚った様子。
 弥太郎(香川照之)も時代の大きな流れに乗り出しそう。
 これら歴史パートをどれだけ描き込めるかが「龍馬伝」という作品の課題だが、尻つぼみで終わってほしくないな。
 そうでないと龍馬を取り巻く女たちという恋愛物になってしまう。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゲゲゲの女房 何だ、もう終わりか。面白かったなぁ

2010年09月11日 | ホームドラマ
 「何だ、もう終わりか。面白かったなぁ」
 このせりふに修平(風間杜夫)の人生が集約されていますね。
 雲のようにあっという間に流れていってしまった人生。
 しかし映画と芝居にかこまれて、老いても美女が好きで、なかなか面白かった人生。
 僕もこの様な心境で穏やかに死にたいものであります。
 サブタイトルもいい。
 「人生は活動写真のように」
 人生をどのように例えるか?
 これも自分の場合はどうだろう?と考えてみると深く生きられるような気がする。
 秋元康さんは美空ひばりさんの歌で「川の流れのように」と例えていたけど。

 話は少し逸れるが、人の一生とは自分のDNAを残すことではないかと考えている。
 それは子供を残すということだけではない。
 他のことでも可能だ。
 たとえば修平の芸術を作りたいという想いは茂(向井理)に引き継がれた。
 そして茂の漫画を読んだ読者達から同じ想いを持った人間が現れる。
 修平の想いはこうして引き継がれていく。
 あるいは「人生は屁のごとし」という修平の明言はきっと村井家にずっと語り継がれるだろう。
 茂の子孫達はこんな話を聞くに違いない。
 「昔、修平というご先祖様がいてね。修平さんはこう言ったんだ。『人生は屁のごとし。最初は大きな音をたてて現れるがだんだんに消えていく。それは嫌がられ、笑われるものかもしれないが、なかなかに面白い』」
 そして修平のこの言葉は、今回「ゲゲゲの女房」というテレビドラマで日本全国の人に知られることになった。
 修平のDNAは村井家の人々の中に生き、われわれの中にも生き続けていくのだ。
 人の人生とはかくのごとし。
 だから、どんなにちっぽけでもいい言葉を残したい。

※追記
 その他では水曜日の茂と布美枝(松下奈緒)の夫婦ゲンカが面白かった。
 「おや? おやおやおや?」
 「あら? あらあらあら?」
 見事な音の連なり。
 これだけで夫婦ゲンカが成立してしまうなんて。

※追記
 ベタだが、香水もいい小道具になっている。
 香水を隠していたことがこんな伏線になっていたとは。
 ただ香水を振りかけた理由は視聴者に十分に伝わっているので、葬式後の布美枝の「何かしてあげたかったんじゃないでしょうかね」という後説は必要ない気がするが。


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名探偵コナン 銀翼の奇術師

2010年09月10日 | コミック・アニメ・特撮
 数多く製作されている「名探偵コナン」映画。
 作品によって散漫であったり出来にバラつきはあるが、この作品は上手い。お薦めである。
 物語は「コナン」映画の定石どおり。
 ひとつめの事件が起こり、それに誘発してもうひとつの事件が起こる。
 今回のひとつめの事件は女優をめぐる愛憎。飛行機での毒殺事件。
 毒がどの様な形で入って女優を殺したのかが推理のポイントになる。
 ちなみにその可能性は、女優が食べた<チョコレート>、飲んだ<ビタミン剤>、メイクの化粧品、飛行機の気圧の耳抜きをした時に入れた指など。
 どれもが毒殺の方法として可能性があり、推理物として面白い。

 だが、さらに面白くなるのは毒殺事件が解決した後のもうひとつの事件だ。
 何と女優を毒殺した毒が飛行機の機長、副機長に及び、飛行機が着陸不能になってしまうのである。
 おまけに着陸予定の北海道・函館空港は嵐。
 さらに飛行機の片方のエンジンが大破。
 そして燃料切れ。
 次から次へと襲ってくる困難(←コナンではない)にハラハラドキドキする。
 同じ飛行機を着陸させる映画に矢口靖史監督の「ハッピーフライト」があったが、ハラハラドキドキ度ではそれを越える位に面白いサスペンスになっている。
 結局飛行機は小樽空港に着陸することになるのだが、コナンがいかにして飛行機を着陸させるかは見物!怪盗キッドがコナンに協力するし。

 そして映画版ではお馴染みの蘭と新一の恋バナも健在。
 飛行機着陸という困難を克服するためにふたりは力を合わせる。

 推理ありアクション・サスペンスあり、恋愛あり。
 「名探偵コナン」は一級のエンタテインメントですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホタルノヒカリ2 あたしは部長におぼれています!

2010年09月09日 | 恋愛ドラマ
 家の前でチュウをしてしまった蛍(綾瀬はるか)と部長(藤木直人)。
 町内会長さんにチュウイ(注意)されると心配して
「トレンディ・ドラマの撮影ということにしましょう」
「おぼれて人工呼吸をしていたことにしましょう。なぜならわたしは部長におぼれているから」
 ウマイ!
 このふたり、見事な漫才コンビですね。

 今回のテーマは<受け入れる>ということ。
 盆太郎(石坂浩二)さん、蛍……、人間、ダメなところ、欠けているところはたくさんある。
 部長だって違う立場から見れば、堅苦しい。神経質すぎる。
 欠点を含めて相手のすべてを<受け入れる>ということ。
 それが大切だと言っている。
 それはなかなか難しいことですけどね、どうしても自分を中心に考えてしまうし、自分を押しつけたくなってしまう。
 こうやってドラマのレビューを書くこともそう。
 僕は基本的に肯定する立場でレビューを書いていますが、どうしても「違うな」とか「描き込みが足りないな」「こうすればいいのに」とかいう感想が出て来てしまう。

 というわけでちょっと批判です。
 瀬乃(向井理)に関する部分はイマイチ。
 好きだと告白している女性(蛍)に別の女性(美香・臼田あさ美)を押しつけられて怒るのはわかる。
 でも書類が落ちて、その中に人間関係図が混じっていて……という作劇はいただけない。
 仕事を途中で抜け出す二番目のエピソードもちょっと。
 蛍が瀬乃に「実は部長のお父さんが倒れてしまって」と説明すれば済むだけの話。
 人間関係図がバッグから落ちるエピソードもそうだが、無理やり蛍と瀬乃を気まずくさせようという意図が見え見え。

 この作品は<小ネタ>と<キャラクター>なんですね。
 それらが十分すぎるほど面白いからいいのですが、ドラマとしては物足りない。粗が目立つ。
 シーズン1は<干物女>と<恋愛>、干物女を客観的に見つめてアドバイスする大人の男としての部長、そして干物女であることがバレたらまずいという秘密要素が加わっていいドラマになっていた。
 キャラクターとドラマがうまくリンクしていた。
 だが今回のシーズン2は、以前にも書いたが<蛍と部長はどんなことがあっても離れないことがわかっている>からドラマになりにくい。
 結果、今回の様な無理やりなドラマ作りになってしまう。

 <漫才><コント>の要素と<ドラマ>をバランスよく配置するのってすごく難しいんですね。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする