JR福知山線を全線制覇したのはあまり記憶が定かではないが、18きっぷで福知山線~山陰本線~嵯峨野線と大阪~京都へ1周した時と思われる。それ以前にJR宝塚線は大阪~宝塚間で阪急との乗り比べで何度か乗っている。といってもJR発足後数年経ってJR宝塚線がかなり発展してからの話だから、福知山線と呼ばれていた時代に客車列車が走っていた時には全く乗っていない。小学校の頃、武庫川に釣りに行ったときに道場付近で電化後の福知山線を見たことがあるが、この時はまだ黄色い非冷房の113系が2連で走り回っており、207系や321系、221系が走り回る現状には程遠い感じだった。
JR宝塚線に初めて乗った時にはまだ丹波路快速はなく、快速は117系だった。また、朝夕には福知山の113系が乗り入れ、快速も福知山まで終日直通している時代であった。JR宝塚線は阪急に比べて速いという噂だったが、速いのは所要時分だけで、走り自体はそんなに速くもなかったというのが第一印象だ。とりわけ尼崎を出てからは制限が厳しい印象を受けており、福知山線事故が起きた時になんであんなところで120km/h以上も出すのか…と唖然としたものだ。117系が走っていた時代は阪急より速いとはいっても車両サービス面でまだまだという印象だったが、東西線が開業して207系が
走り始め、さらに221系が玉突き転配で入ってきて丹波路快速として走り始めてくる頃から阪急と遜色ない車両が走り始めた印象がある。本線と直通する普通が321系になり、JR宝塚線の通勤電車は朝夕に走る113系を除きJR型車両に統一された。113系の方も宮原に新製の223系が配置されているので早晩置き換えられる予定だ。国鉄末期に近い時点まで客車列車が走っていた路線がいまやJR型の新しい電車ばかりが走るJR西日本最先端の路線となったのには驚かされる。並行して走る阪急の影響力と発展を遂げた三田地区への輸送力向上がそれを後押ししたのだろう。今後は近距離のみならず中長距離輸送にも力を入れてもらい特急北近畿の183系の置き換えが目下の課題となろう。
福知山線の新三田以北へはそれほど回数は乗っていないが、北近畿方面への鉄活動や山陰への抜け道として何度か利用しており、加古川線とのリンクなどで数回は利用している。当初は快速が福知山まで直通していたので117系に大阪から通しで乗るということが多かったが、丹波路快速設定時に篠山口で運転系統が分断されてしまい、朝夕の時間帯を除いて福知山方面へ普通で行くには篠山口で乗り換えが必要となってしまった。篠山口までは221系で快適に移動できるが、篠山口以遠は113系改造の鉄仮面みたいなおかしな面をした113系3800番台2両編成に乗ることになり、篠山口まで座れていても、ここから先は座れないという事態も多くなっている。JR西日本はローカル線とアーバンネットワーク各線との格差が大きいが、ローカル線でも自治体が金を出すところにはいいクルマが入っている。福知山線沿線から資金を出してもらうのは厚かましいが、JR宝塚線での儲けを少し配分して福知山線篠山口以北にも125系並みの新車を入れて欲しいものだ。最もそれよりも先に183系置き換えが急務というところもあるので難しいところだ。