EXPRESS DIARY~鉄人日記~

鉄道に関することを日々徒然なるままに書いて行こうと思います。

JR高徳線

2007年08月15日 | 四国

040822kotoku2458uzushio4  JR高徳線は第1回四国乗り潰し旅行と言える99年2月の遠征で全線制覇している。何度か書いているが、高知方面を巡り、宇和島から一気に高松まで特急を乗り継いで戻り、高松で泊まった夜に体調を崩し、翌日の行程を変更している。当初は高徳線で徳島へ出て、徳島から牟岐線~阿佐海岸鉄道と乗り潰して、徳島へ戻り、徳島から徳島線の乗り潰しをするルートを考えていた。夜中に腹痛を起こし、フロントで薬(胃薬しかなかったのでそれを貰ったらなんでか治った)を貰って服用して眠ったため、朝の始動がゆっくりとなったため、予定の行程をこなすことができなかった。高徳線と徳島線を乗り潰すミニルートで済ませることにし、高松からN2000系を使用した特急うずしおに乗って徳島へ向かった。登場当初は最速130km/h運転が売りで、この当時もまだ急行阿波時代から続く停車駅の少ないタイプの列車が存在していたように思う。その後停車駅をどんどん増やしていき、特急というより快速に近い列車になってきている。明石大橋開業後の凋落が顕著となっているのはやはり京阪神からの入り込みが減ったということなのだろう。

040822kotoku1013  高徳線にはこのほか、03年9月6日に琴電の乗り潰しの際に志度から高松まで18きっぷで普通列車に乗っている。また、04年7月17日の第2回四国遠征でも高松から徳島まで特急うずしおに乗り、徳島から牟岐線の乗り潰しをしている。また、同じ04年の8月22日には鳴門線の乗り潰しをするために、高松まで新型マリンライナーの旅を楽しみ、高松から高徳線普通に池谷まで乗っている。途中雨に降られる道中だったが、特急に乗るよりも普通列車でゆっくり沿線を見ながらの旅の方がその路線がよくわかっていいと最近思うようになった。学生時代はとりあえず量や数乗ればいいということで、特急に乗って先を急ぐことが多かった。HPを開いてから心境に変化が現れたと言えば大げさだが、HPの影響は大きい。この時徳島からの帰りには高速バスを利用している。大阪駅まで直行という魅力があり、3時間ほどで着くので便利なのは間違いないが、バスは狭苦しいし、渋滞もあるので時間が不安定な面もある。大阪~徳島間は明石大橋の開業により高速バスの独壇場に近い状態になっているが、ここに鉄道があれば…と鉄道マニアとしてはどうしても夢を見てしまう。鳴門大橋が鉄道も通せる構造になっているだけに、明石大橋が鉄道に対応しなかったのは至極残念である。