EXPRESS DIARY~鉄人日記~

鉄道に関することを日々徒然なるままに書いて行こうと思います。

JR芸備線

2007年09月19日 | 山陽

070630geibi58miyoshi  JR芸備線には02年夏に福塩線とセットで乗り潰しをしている。但し、乗ったのは三次~広島間で、それ以前に三次~備後落合間は三江線、木次線の乗り潰しの際に乗っていたので、備後落合~新見間は残していた。三次~広島間は普通列車で移動した。キハ47に乗ったが、途中キハ58急行みよしとすれ違うのは想定していたが、キハ120普通とすれ違うとは想定外だった。キハ120は輸送力に問題があるので、三次以遠でのみ使用されていると思い込んでいたので予想外だった。後で調べてみると広島運転所への入出庫を兼ねた運用のようで、常時運用されているわけではないようだ。それにしてもJR西日本は各所で国鉄車両を大事に大事に使用しているが、広島でも都市近郊で主要路線の一部と言える芸備線にいつまでもキハ47やキハ40、キハ58が走っているのは如何なものかと思う。今更気動車の新車を入れても何の新鮮味もないので、もうしばらく待って、環境にやさしいとされる燃料電池車両やハイブリット車両を投入して一歩進んだ非電化路線となってほしいものだ。

 芸備線残りの未乗区間には04年8月28日の木次線訪問の際に、出雲坂根の3段スイッチバックを堪能して、おろち号に接続する形で設定されていた芸備線直通の臨時快速に乗り、芸備線乗り潰しを達成した。臨時快速はキハ120だったが、ヒバゴンが住むと言われる中国山地の奥深くを比較的快走した。

 その後芸備線はご無沙汰していたが、急行みよしの廃止が決まり、行くか行かぬか決めかねているうちに最終日が訪れ、一念発起して新幹線で広島に入り、片道は三次まで急行みよし2号に乗って惜別乗車として、折り返しは普通列車で途中下車しながら撮影を楽しんで本格的なキハ58系急行の終焉を堪能した。キハ58が原色でなかったのは残念なところだが、原色が走っていたら沿線はもっと混乱するほどの人出になっていたに違いない。ありのままで終焉を迎えた急行みよしの最後はファンには少し物足りないものだったかもしれないが、私はあれでよかったと思っている。