北条鉄道の乗り潰しは、01年11月23日に達成した。当初スルっと関西3DAYチケットを利用して神鉄粟生線経由で乗り潰すことを計画していたが、3DAYチケットを他の用途で消化してしまったので、計画を変更して、珍しくクルマで加西市まで乗り込んで、パーキングにクルマを預けて北条町から粟生まで往復した。ちょうど北条町の駅舎が改修されて小奇麗な駅舎が完成したところで、駅の周りは引き続き改修中という感じだった。北条町は近代的な駅舎を構えて新しい鉄道というイメージを持たれるような駅だったが、中間駅の大半は国鉄時代にタイムスリップしたような駅が並んでおり、日本の田舎の原風景とも言うべき世界が広がる路線というイメージを持った。レールバスの方は1985年の3セク転換時に投入されたフラワ1985はまだ存在していたが、私が乗った列車は新型車両に置き換わっており、転換当初の北条鉄道のイメージとは異なっていた。フラワ1985は鉄道模型化されており、値段が安いということで小学生時代に購入して盛んに走らせていた(単車で走るので爆走させて遊んでいた)ことを思い出す。特に思い入れがあるわけでもないが、乗ることはできなかったものの、模型で走らせていた車両に現地で巡り合えて多少の感動はあった(それほど大げさな感情はなかった)。
北条鉄道は粟生でJR加古川線、神鉄粟生線と連絡しているが、JR加古川線は60分サイクルで、同駅で行き違いをする関係で、上下とも北条鉄道と良好な連絡をしていた。当時はまだ加古川線は非電化だったが、電化後の現在も同様に乗り換えは便利になっている。神鉄は15~30分毎の運転なので、それほどシビアな連絡時間は取られていないが、連絡時間としてはまずまずの時間という印象だ。神鉄はやや奥まった所にホームがあるので、加古川線よりかは乗り換えに歩くことになる。
その後北条鉄道からはしばらく遠ざかっていたが、本年11月17日にかつての計画同様3DAYチケットを利用して、神鉄粟生線で三木まで乗って、三木から三木鉄道に乗って厄神へ出て、厄神から加古川線で粟生に出て粟生から北条鉄道を往復するルートで再乗車した。三木鉄道の惜別乗車が第一の目的だったが、北条鉄道も高校生を中心にそれなりに乗っていたものの、モータリゼーションと立地条件の悪さ(中国道経由で加西市から神戸、大阪へ直結している)などもあって厳しい状況には変わりないという印象を持った。三木鉄道のように神鉄との鉄道同士の同士討ちがない分北条鉄道には生き残っていく素地はありそうだが、モータリゼーションの進行や少子化による利用者減は今後も続くものと思われる。久しぶりに訪れた北条町の駅周辺が以前とは一変しており、ショッピングセンターなどが建ち並ぶ近代的な町になっていたのには少々驚かされた。北条鉄道の利用につながればいいが、どう見てもクルマ利用が主体と思われ期待薄感を持ってしまう。DMVを導入したりして、加西市役所や北条高校方面などに“直通運転”して利便性を拡大して線路を守っていく施策が必要なのではないかと思う。