指宿枕崎線は長らく日本最南端を走る鉄道として有名だったが、沖縄モノレールが開業して、最南端はそちらに譲ってしまった。それでも通常軌道の鉄道としては最南端を走る路線であることには違いない。同線には02年夏の九州遠征で初めて乗車している。九州には学生時代だけでも2回ほど遠征していたが、全ての路線に乗ることはできず、指宿枕崎線も懸案事項として残したまま社会人になってしまった。社会人になってからしばらくは乗り潰し趣味などはしなくなっていたが、いつの間にやら火が付いて、今のうちに乗り潰しておかなければという急いた気持ちになって乗り潰し活動を再開した。その第1弾とも言うべき九州遠征で指宿枕崎線を漸く乗り潰すことができた。暑い九州なのに、非冷房の気動車が走っており、終始窓を開けて暑さを文字通り凌ぐという感じの道中で、頭がぼーっとして眠ることもできず、ただただぼんやりと車窓を眺めるだけの道中だった。当時はまだ日本最南端の駅を誇っていた西大山の駅や記念碑?を車内から撮影して、開聞岳の優雅な姿を見ながら長い道中を終えて漸くという感じで終点の枕崎に着いた。かつては鹿児島交通が連絡していたが、広く荒れ果てた構内がその面影を残すだけで、鹿児島交通の遺構のようなものは見当たらなかった。折り返し時間はそれなりにあったが、それを逃すと気が遠くなるほど何時間も列車がないので、乗り遅れないように構内で待ち時間を過ごしてすぐに折り返した。帰りは山川から“黄色い快速”に乗って、行きとは違う快適な道中を過ごして鹿児島まで戻った。
次に指宿枕崎線を訪れたのは05年8月28日の南九州遠征の時で、前日に日豊本線を普通列車で南下して鹿児島中央に着いて、1泊して翌朝一番列車で枕崎を目指した。8月末頃ということもあって夜明けの遅い南九州は朝の5時台ではまだ真っ暗で、途中まで道中は暗闇の中だった。西大山で降りて開聞岳をバックにした列車の撮影も考えたが、待ち時間があまりにも長いため断念して再び枕崎までの往復乗車となった。07年の九州遠征でも指宿枕崎線遠征を考えていたが、時刻表の読み違いと天候不良のため断念した。次回同線を訪れる機会があるなら是非とも開聞岳をバックに走る列車の撮影をしたいと思う。