JR飯田線は学生時代から乗り潰ししようしようと思いながらなかなか乗れなかったいや乗らなかった路線である。どう考えても時刻表を見ると1日がかりの乗り潰しとなるため、車内での退屈や効率の悪さなどがネックになって学生時代から敬遠してきた。乗り潰しに本腰を入れるようになって、いよいよ飯田線狩りに出なければならないようになって、04年夏に乗り潰し計画を立てた。早朝茨木を出て、限界いっぱいで豊橋に着くスジでも10時前後になるので、それ以降の豊橋発の飯田線電車でうまく終点の岡谷(辰野)まで辿り着けるスジを探って、日暮れ前に一旦岡谷に着いて、中央線旧線を通って塩尻、さらには宿を取っていた松本へと至るルートで乗り潰すことにした。翌日は大糸線を北上して北陸に抜けるルートを辿っているので差し詰め中日本縦断ルートを辿る旅と言ったところだ。
18シーズンで激込みの新快速で豊橋入りして、豊橋で待ち時間があったので、きし麺を食べて、飯田線ホームに入って名鉄電車をついで撮りしながら列車を待ち、天竜峡行きの119系に乗り込む。途中まで先頭でかぶりつきを楽しんでいたが、どこの駅からかは失念したが、運転席後部が荷物室となるため、立ち入り禁止となった。かつての荷物電車、新しいところでは223系0番台が行っていたような部分荷物室を目の当たりにした感じだった。珍しいものが見られたもののかぶりつきは途中で終わり、あとは座席について普通に景色を楽しむ(普通の旅行はそんなもんですけど)ことになった。この後天竜峡で1回乗り換えがあり、373系特急伊那路がやってきたりして、飯田線の旅を楽しみながら北上していったが、飯田を過ぎて、長野県に入ってから雲行きが怪しくなり、途中で雷雨と落雷による停電のため、どこだったか忘れたが途中の小さな駅で抑止を食らった。1時間以上抑止を食らった記憶があるが、これにより日暮れまでに岡谷に着くという行程は脆くも崩れ去り、岡谷に着いた時にちょうど日暮れになったところだった。岡谷から一旦戻る中央線旧線の旅は暗闇の道中となり、その日の目的地の松本に着いたのはどっぷり日が暮れて、駅構内の店も閉まるような時間だったのを思い出す。