EXPRESS DIARY~鉄人日記~

鉄道に関することを日々徒然なるままに書いて行こうと思います。

JR津山線

2007年09月08日 | 山陽

Jwtuyama4  JR津山線には01年12月31日に乗車している。前日姫新線、吉備線などを乗り潰して大阪に戻り、その夜の急行だいせんで再び山陰へ旅立った。篠山口まで普通乗車券と急行料金で乗車して、篠山口から米子まで31日から利用可能なフリーきっぷを使用した。夜も明けぬ暗闇の中の米子駅に降り立ち、山陰本線未乗区間の宍道~江津間の乗り潰しをすべく、朝一のスーパーおき2号に乗り込み江津まで行って、折り返しスーパーくにびきで倉吉まで戻っている。倉吉からスーパーはくとに乗り換えて、智頭まで乗り、智頭から別料金となる智頭急行を避ける形で、因美線に入り、因美線智頭以南の乗り潰しをして津山に着いた。前日通り過ぎた津山からは津山線に乗って岡山へ出た。津山線に乗ったのはこの一度きりで、この時は快速ことぶきに乗ったので、津山線用のキハ120にはまだ乗ったことがない。快速ことぶきはさすがに快速だけにそこそこ停車駅があり、ゆっくりした道中だったのを覚えている。この頃はまだ急行つやまにキハ58が使われており、半室グリーン車も健在だったが、今は快速ことぶきと同じキハ47が使用されている。急行マニアとしては急行として存在し続けている急行つやまを一度見に行きたいものだ。ただ、急行の代名詞と言えるキハ58でないのは残念なところだが…。


JR城端線

2007年09月07日 | 北陸

060709jyonaha402136  JR城端線には02年8月1日に乗車している。かつて学生時代に東京帰りに高山本線経由で富山入りして、氷見線を乗り潰して、その次に城端線と意気込んでいたが、大垣夜行疲れで城端線はパスしてスーパー雷鳥で帰阪してしまい、城端線乗り潰しは保留となっていた。これを解消すべく、18きっぷを利用して高岡まで普通を乗り継いで城端線に乗りに行った。砺波平野を坦々と走る路線で、貨物列車が走っていたのが意外なぐらいで、あとは平凡な路線という印象だ。北陸新幹線が開業すると新高岡駅が城端線沿線近辺にできる予定で、城端線が新幹線アクセス路線となる公算が大だ。JRとして残るのか、あるいは北陸本線とまとめて3セク化されてしまうのかわからないが、北陸新幹線が大阪方面まで延びない限りは大阪からの特急は在来線のままとなるはずなので、北陸本線の3セク化はなるとしてもまだまだ先の話と言える。かつては快速の運転などもあり、結構頻繁運転されていた城端線だが、JR西日本のローカル線の粛清に遭い、快速はなくなり、本数も幾分減っている。新幹線開業を機にアクセス路線として再生してほしいものだ。


JR姫新線

2007年09月06日 | 近畿

011230kisin471  JR姫新線には01年12月30日に乗車している。この年はホームページのネタ拡大のため、西日本を中心に少し乗り潰しをするということで、年末年始に発売されるJR西日本のフリーきっぷと18きっぷを組み合わせて中国地方のローカル線の乗り潰しに取り組んだ時期だ。当時はまだニワトリが鳴く前や陽が昇る前に家を出て朝一の電車に乗って、遠出するということはしていなかった。この時も朝そこそこの時間の電車に乗って、姫路まで出向き、10時頃出る姫新線気動車で姫新線乗り潰しに取り組んだ。途中播磨新宮、佐用、津山で乗り換えをしながら、中国道なら半分程度の所要時分で着きそうな距離を長時間かけながら進んだ。津山からはキハ120に乗り、終点新見に着いた時には冬至過ぎの短い陽は既に沈もうかとしている15時過ぎだった。新見からは伯備線で総社まで行き、夕暮れ過ぎの吉備線に乗って、姫新線、吉備線の乗り潰しを達成している。姫新線に乗ったのはこの一度きりで、それ以降は姫路で気動車を見かける程度の存在となっている。姫路から佐用あたりまでは姫路近郊の輸送もあり、それなりに活況を呈しているが、佐用以西、とりわけ津山以西は沿線の過疎化や中長距離では並行して走る中国道の影響などもあり、尻すぼみとなっている。芸備線新見~備後落合間、因美線智頭~津山間同様、姫新線津山~新見間もいつまで存続できるかという不安がつきまとう路線と言える。


JR和田岬線

2007年09月05日 | 近畿

070602sanyo103r12  JR和田岬線は01年8月1日に乗車している。この時は既に電化されており103系が走っていた。午前中にSL北びわこ号を撮りに長浜まで行って、夏休みで超~満員の新快速に乗って姫路まで行き、姫路からこれまた超~満員の山陽本線普通に乗って上郡で降りて、智頭急行、山陽本線普通の撮影などをして、夕方近くに兵庫まで戻り、和田岬線の乗り潰しをした。この頃は当ホームページEXPRESS&メインターミナルの黎明期(大げさな表現だが)とも言える時期で、とりあえず近畿圏の鉄道を書き下ろしていくというのを目的にしていたので、その飾りとして各線の写真を搔き集めていたので、全国的な乗り潰し活動など眼中になく、近畿圏制覇に向けてのみ動いていた時期だ。その中で未乗の和田岬線に乗り、HP作成の一助としている。和田岬線は通勤時間帯にしか走らない路線で、土休日は極端に本数が減るということで、学生時代平日は通勤時間帯にバイトをしていたこともあり、乗る機会に恵まれなかった。当時は非電化で近畿圏では珍しいキハ35が走り、それ以前は客車列車が走る名物路線だったが、名物が走っている時代にはついぞ乗ることができなかった。10年ほど前までは近畿圏にも結構希少価値の高い列車が残っていたように思うが、ここ10年で消えて行ったものが多いように思う。全国的に見れば103系自体がそのうち近畿オリジナルの車両かと言われるのではないかという状況になっており、本線系に残る485系やキハ181系も既に天然記念物と化しており、物珍しい列車はなくなったが、物珍しくなかった古い国鉄車両が周辺状況の変化により物珍しい列車になったというのが近畿圏のおもしろ列車事情と言えよう。そんな中物珍しくもなかった103系が物珍しくなりつつある現状で、103系がしばらく走り続け、たまに207系が入ったりする和田岬線は相変わらず近畿圏の名物路線であり続けていくと思われる。


JR草津線

2007年09月02日 | 近畿

060108kusatsu113l11_2  草津線はご近所路線ということもあり、いつでも乗れるという感覚から逆に次に乗ろう、また次にしようと先延ばしになり、学生時代に18きっぷで草津線経由で計画を立てながら実際には面倒くさいので本線経由とか大和路線経由に走ってなかなか乗れなかった。初めて乗ったのは草津線が大回り乗車に組み込まれてからのことで、ケチなマニアが暇つぶしにする大回り乗車にて見事に乗り潰しを達成した。その後も何度か大回り乗車にて利用しているが、信楽高原鉄道や近江鉄道の乗り潰しをした時にも利用しているし、18きっぷでも何度か利用するようになっている。とりわけ関西線方面へ抜けるルートでは重宝する路線として立て続けに何度か利用したりしており、かつて18きっぷ利用時に敬遠していたのがうそのようだ。

 草津線に最初に乗った時の印象はなんと乗り心地の悪い路線かということだ。赤穂線でも同様のことを感じたが、あまり速く走るわけでもないのにものすごくバウンドする。線路の整備が悪いのか113系の整備が悪いのかよくわからないが、乗るたびにその印象を受けていた。最近乗った時にはそれほどでもなかったので、私が慣れたか何らかの手直しがなされたのかのどちらかだろう。JR西日本は本線系統には力を入れているが、本線から一歩外れると線路保守のために昼間運休などというあり得ない処置を取るような会社である。草津線はローカル線というには失礼な路線だが、本線からは外れた路線なので、手抜きがあるかもしれない。最も最近は本線の改善により、223系や221系の乗り入れも目立つようになっており、本線のおこぼれを頂戴して草津線の改善も進んできているようだ。それでも地元自治体などが要求している複線化や新快速乗り入れというのは実現に至っていない。ダイヤが乱れることが多い新快速の乗り入れは複線化とセットで行うなどしないと草津線のせいでダイヤが乱れたということになりかねないので、しばらくは見送っておいた方がいいと思う。


近鉄南大阪線

2007年09月01日 | 近畿

051203kin260002  近鉄南大阪線に初めて乗ったのは学生時代に南海高野線に乗りに行って、河内長野から近鉄長野線に乗り、そのまま古市をスルーしてあべの橋まで乗った時だ。この頃は近鉄に対して大した知識もなかったので、南大阪線は大阪線や奈良線に比べてローカルな路線だという印象があり、昼間は空いているというイメージを持っていた。ところが実際乗ってみると編成両数が少ないこともあってか、長野線内から立ち客が出て、古市からは満員の状態、さらに藤井寺、河内松原などに停まり、超満員になってあべの橋に着く有様だった。夕方近い下校時間帯に差し掛かる時間だったので、高校生や大学生の利用が多かったのだろうが、イメージとのギャップに驚いたものだ。あべの橋のロケーションが問題視されるところもあるが、南大阪線は列車頻度も比較的高く、利用者も結構多いという印象を持つようになった。

 その後古市以東にも乗り、御所線、吉野線などの乗り潰しの際にも利用しており、何度も乗るようになった。長野線直通の準急は古市での時間調整が気になったり、上りあべの橋方面はあべの橋に近づくにつれて先行の普通にあたることが多く、ゆっくり走ることが多いのには少しストレスがたまるところだ。夕方ラッシュ時などは下りでも準急は頭打ち運転になっており、列車密度の高さが仇になっているところがある。ダイヤは大阪線と比べると比較的パターン化されており、10~20分サイクルの準急・普通と30分サイクルの特急・急行を組み合わせたダイヤはそれなりに便利だ。但し、長野線が15分サイクルとなっており、準急は長野線へ4本、橿原神宮前方面へ2本の運転となるため、どうしても古市で運転を切らざるを得ないようになっており、長野行き準急は古市で長時間停車する。この間に増解結をすることも多いので、停車時分が長いのは気にしなくてもよいのかもしれないが、利用者としては少々煩わしい停車と言える。

 近年近畿圏の私鉄では料金不要の特急の停車駅が増えたり、急行の停車駅が増えたりしているが、近鉄南大阪線については停車駅は増えていない。あべの橋を出て古市までノンストップとなる急行はなかなか爽快な走りをするので、停車駅が多い阪急や京阪の急行とは違った急行を体感できる。