EXPRESS DIARY~鉄人日記~

鉄道に関することを日々徒然なるままに書いて行こうと思います。

500系・N700系・みどりの窓口

2008年07月13日 | 500系

080713sanyos500w2  今日は少し忘れ加減だった500系のぞみの撮影に西明石へ行ってきました。朝起きる時間が少々遅かったので、カツカツの時間で西明石へ向かう羽目になり、豪華に新大阪~西明石間を新幹線で移動してしまいました。これまでも何度か西明石で撮影するときは、撮影賃料的に新幹線を利用していたので、今回も撮影させていただくための高額な料金ということで無理矢理納得して新大阪から新幹線に乗り込みました。さして下調べせずにホームに上がると西明石に停まるひかりは全車禁煙とのこと。その後来るのぞみも2本連続で全車禁煙というアナウンスがありました。いつの間に新幹線は全車禁煙になったんだ?と一瞬思いましたが、よく考えるとN700系を使用する列車であるということに気づきました。しかし、ひかりにN700系を使用するとは豪華な…と思いながら時刻表を見ると、私が乗ろうとしているひかりはおまけのN700系使用のひかりではなく、08年3月改正のある意味での目玉的な列車である新横浜始発のひかりだったのでした。なるほど朝一に大阪に着くひかりということでN700系を使用しているんですね。少し儲けた気分になってまだ2度目のN700系に乗車しました。新幹線自体久し振りの乗車で、短区間ながらもN700系でのミニトリップを楽しみました。車内は如何せん空き過ぎの感もありましたが…。西明石について、後続ののぞみに追い抜かれるということで、これはもしやということで先頭車付近で広角レンズを構えて轟音に合わせて山勘でシャッターを切るとデアイガシラの特大ホームランが出ました。適当に振ったら物凄い当たりになったという感じの出来で、N700系の追い抜きシーンを見事に収めることができました。幸先よく撮影に成功して続いて上り500系のぞみの撮影のためにホーム半ばへ。N700系で気分がよくなったのか、500系も日が陰ったのはご愛敬ですが、私にしては上出来の撮影となりました。その後はレールスター(失敗)とN700系のぞみの撮影をして、新幹線ホームに別れを告げ、いったん下車して、在来線で三ノ宮方面へ。

 お盆休みの指定券を取るために、新快速に乗って三ノ宮へ。ちょうど10時を過ぎたところで、指定を取るにはいい時間だったのですが、比較的空いている西側のみどりの窓口には何やら中国語らしき言葉を喋る若者が大挙して窓口を占領中。おそらく新幹線の切符を手配するのだと思いますが、あれやこれやとわけがわかるようなわからんようなやり取りを聞いているとこれは時間がかかるということで、三ノ宮は諦めて、元町へ移動。今度は空いてるだろうと思いながらみどりの窓口へ入ると3人ほどが並んでいる程よい状態。しかし、先頭のお姉ちゃん相手に窓口のお姉ちゃんが悪戦苦闘している模様。九州往復切符がどうのこうので悪戦しているようで、帰り便が買えないとかなんとかで、行きの指定だけ買うということで少し話がまとまったようだが、行きの新幹線の指定も満席が多く行ったり来たり。漸くその処理が終わって、次の人は乗変で、さらにその次の人は前の前の人と同じく九州往復切符利用。今度は佐伯までの往復ということで、延岡までの往復券を使う確認などまではすんなりいったが、ソニックとにちりんの乗り継ぎ、さらに新幹線との連絡などに時間を要して、ベテランの助けを得ながら漸く発行。そして続いて私は手軽なムーンライト九州の指定券の発行をお願い。18も一緒に購入と言ったはずだが、指定券発行でいっぱいいっぱいのお姉ちゃんにはうまく通じず、出てきたのは指定だけ。18はいつでも買えるので、とりあえず510円の面倒な手続きを有り難く頂戴して、何とかお盆の予定の第1歩をクリアしたのであった。しかし、最近は定型の指定券などはみどりの券売機で買えるようになり、私も新幹線利用の際には窓口は利用することもなくなったが、さすがにムーンライトや企画切符は窓口で買わざるを得ない。窓口は窓口の人間がマルスの操作はもちろん切符の種類や行先などに精通していれば混んでいてもすんなり行くが、窓口の人間がマルス操作はできても時刻表と睨めっこしながら列車や行き先を調べるというレベルの場合は長蛇の列ができてしまう。さらには窓口を利用する客も一筋縄ではいかない人ばかりなので、余計にかわいそうなぐらい小難しい切符を買ったり、ややこしい質問や切符の使い方がわからない人がいて、長蛇の列をさらに長くする傾向がある。みどりの窓口は近年若手は契約社員が採用されているが、駅によってあるいは人によって差があり過ぎるように思える。どこの企業にも言えることだが、窓口というのはある意味企業の窓口とも言える存在だ。そこでこけると企業イメージも同じく悪くなるというものだ。そのあたりを認識してもう少しみどりの窓口での対応についてJRには見直して欲しいものだ。


ユニバ&9303F

2008年07月12日 | アーバンネットワーク

080712yumesaki6815  本日は近畿圏撮り回しもそろそろ佳境といったところで、とりあえず数少ないユニバーサルエクスプレスを昨年5月以来の撮影に。前回は撮ったはいいが、パソコン上の事故?でほとんどのデータを消失してしまうアクシデントに見舞われたが、今回は無事に編集までこぎつけた。毎回ユニバーサルシティまで行って、下りを1発撮って、安治川口で上りの回送を撮るのがパターンだったが、今回は環状線内を走る681系を撮るということで、野田でユニバーサルエクスプレスを撮って、すぐにゆめ咲線に入って安治川口で上り回送を撮影した。USJも東京のディズニーランド(実際は千葉か)ほどではないもののすっかり大阪の観光スポットになった感があるが、ユニバーサルエクスプレスの運転頻度などを見ると全国区というにはまだまだなのかなという気がします。

080712hky9303  ユニバーサルエクスプレスの後は、少しぶらぶらと大阪の街を歩き、ミナミへ。モバイルPCが欲しいので、日本橋をぶらぶらして物色するものの、実際問題どこまで使うのか疑問なところがあり、購入は見送り。工人舎のPCは小さくて持ち歩きにはよさそうですが、写真編集などは無理っぽいし、普段持ち歩くことも少なく、鉄旅行などに出るときだけに使うには少々勿体ない気がして、とりあえず今日は見送り。日本橋から堺筋線~千里線~京都線と乗り継いで、上新庄へ。9303Fの撮影が目的で同駅を訪れたが、それ目的と思われる人が2人先客がいて、さらに何でか3300系特急を撮って退散した人が2人。普段阪急では有名撮影地と言える上新庄でも撮影者はほとんどいないのですが、さすがに9303Fはネタになるんでしょうね。3本目ぐらいに9303F特急が現れ、次いで折り返しを茨木市にて撮影。撮るのは2度目なので、次は乗って1次車との違いを見てみたいと思います。


阪神を思う…

2008年07月09日 | 野球

071020hans95032  阪神を思う…と言っても写真は阪神電車ながら、今日は阪神タイガースについて少し語りたいと思います。阪神と競馬について語らせれば…という感じの私ですが、今さら今年のタイガースについて語っても仕方がない。既に優勝は決まっているのだから。ただ、来年以降のタイガースについては今のままで大丈夫かと言われるとそうでもないため、今後のタイガースについて考えていきたい。来年以降を語るにはまずはオリンピック期間での戦いがその試金石になるのではないかと思う。新井、林が抜けた影響は普通に痛いところだが、矢野、藤川、久保田が抜けることに関しては今後計算しておかなければならないところだからだ。矢野は年齢的にそろそろというか、少なくとも後継の捕手の選定は終わっていなければならないような年齢に達しており、ポスト矢野はここ数年のタイガースの懸案事項でもある。藤川、久保田については今すぐ抜けるということはなくとも、近い将来メジャーへの移籍などで抜ける可能性があったり、経年疲労による怪我も心配だから、JFKなき後の7・8・9を考えるにはちょうどいい機会と言える。このうちポスト矢野についてはおそらく野口が起用されるものと思われるが、オリンピック期間は野口で乗りきれても、来年再来年を考えれば野口も矢野に劣らずいい歳なので、いつまでも正妻として居座れる人材ではない。そう考えると余裕のある今現在の状況を活かしてオリンピック期間中は若手捕手を起用すべきなのではないかと思う。今若手捕手に経験を積ませておかなければ、正捕手なき後チームがガタガタになったヤクルトや横浜のようになり兼ねない。セリーグの栄枯盛衰を見ていると如何にも捕手の重要性がわかろうというものだ。古田なき後のヤクルト、谷繁なき後の横浜、少し古いが達川なき後の広島、阿部が成長途上だった巨人など捕手とチーム成績の関係について列挙すればいくらでも出てくる。パリーグでもソフトバンクが近年チーム力がありながら成績が今一つなのは城島なき後の捕手が育っていないということがあるだろう。西武にしてもポスト伊東で苦しんでいた。そのように考えると矢野なき後のタイガースは一体どうなるのか末恐ろしいところだ。同じことは谷繁なき後の中日にも言えることだ。阪神の屋台骨は打は金本、新井、投は下柳、JFK、守は矢野、走は赤星となっているが、このうち金本、下柳、矢野の同級生トリオについてはそろそろというより既にポストが決まっていてもおかしくない年齢だ。

 鉄人金本についてはまだまだ現役を続けられるだろうが、近い将来4番の座は新井に明け渡すと思われる。広島には悪いがそういった意味では4番の補強は既に準備ができていると言える。また、クリーンアップについては林が復活してほぼ形が固まってきているので、これに桜井や今岡が復活してくれば、打線については今のところ問題は生じないと思う。投の中心は下柳ながらも先発陣はそれなりに豊富で、安藤、福原が怪我なく頑張れば、右の先発はしばらく安泰だ。左腕についても岩田が一本立ちした感があるので、このまま順調に行ってくれれば左腕エースにもなり得る存在だ。左腕についてはもう少し量が欲しいところで、能見や小嶋、筒井と言ったところが出てきたらもう少し層が厚くなる。現状の投手陣を見る限り、右腕については若竹や鶴といった若い伸び盛りの投手が多いので、左腕の補強が今後の課題と思われる。ポストJFKについては正直現段階では難しい問題だ。どうしてもチームとしては先発の補強を考えてしまうが、現在のタイガースの投手陣の構成はほぼ理想的と言えるもので、今後もこのような体系が取れていければ、チームが大崩れすることはないと思われる。ポスト藤川は時期尚早とも思えるが、今のうちに藤川並みの豪球が投げられる投手を発掘しておく必要はあるだろう。候補としては先に挙げた若竹や鶴あたりもポスト藤川の候補と言える。ポストジェフについても難しいところだが、かつての遠山のようなワンポイントでもいいので、強力な中継ぎ左腕が必要だ。

 走については赤星が五体満足であればもっと走れると思うが、首に故障を抱えており、万全の体制ではない。赤星、平野が走りまくるのが今年のタイガースの売りの一つだったと言えるが、平野も故障しており、代走で走れる選手が一人欲しいところだ。広島に放出する形になった赤松がいれば走の方は今よりもっと走るタイガースのイメージができたのではないかと思われるが、死んだ子の歳を数えても仕方がない。こちらも走れる選手の補強は必要だろう。秀太のようにどこでも守れるマルチプレーヤーで、なおかつ塁間を赤星以上に走れる選手が理想的だ。

 さて本題の捕手だが、矢野・野口の後継は未だ見えてきていないのが現状だ。昨年は狩野が1軍に上がってマスクをかぶることもあったが、今年は怪我などに泣きファーム暮らしとなっている。そのファームでも狩野が正捕手というわけではなく、小宮山、清水、岡崎、橋本と競争しているような状態だ。ポスト矢野というよりファームから誰が這い上がってくるのかという状況では先が思いやられる。現状を見る限りでは近鉄特急が阪神沿線に乗り入れてくる頃には阪神タイガースは元のチームに戻っているかもしれない。一日も早くポスト矢野が出てくることを期待したいものだ。


今日は新京阪

2008年07月08日 | 阪急6300系

070311hky63562  本家の京阪も“新”京阪になりつつありますが、新京阪の本家と言える阪急京都線も“新”京阪ならぬ“新”阪急になりつつあります。6300系の廃車が始まり、ついには9300系の通勤特急まで登場しました。9300系は向こう数年の増備計画があるようですから、それらは全てそのまま6300系置き換え分となると思われます。6300系の終焉も現実的なものになってきたのかなという印象があるのとともに、古株の2300系の処遇はどのようになるのかという点はいつも引っかかってきます。6300系は07年3月改正でラッシュ時も含めて運用本数が減っているので、9303F運用開始とともにさらに1編成ぐらいは廃車になってもおかしくありません。その一方で9300系が6300系の置き換えに使われると2300系の置き換えができなくなるという矛盾があり、これをどのように解消していくかが今後の阪急京都線の車両施策の見どころになるのかなと思います。まさか宝塚線に9000系を入れて5100系を京都線に回してくるような裏技はないと思いますが…それをやるかやらないかは阪急の懐具合によるといったところでしょうか。やったら相当懐が苦しいということになりますね。[E:sad]


京阪新塗装

2008年07月07日 | 京阪

080706keihan80082  京阪の新塗装車が一般の7200系を皮切りに8000系特急車も登場し、今後新塗装が増えていくようになる。これに新3000系の全く従来とは異なる塗装が出てきて3種類の塗装が京阪標準となるようだ。一般塗装の7200系は爽やかなイメージもあり、新しいフロントマスクの7200系にはよく似合う塗装のように思える。これが2200系や2400系、5500系などになるとどうなるのか今のところ想像がつかないが、中には似合わない車両も出てくることだろう。さらに6月080706keihan7201 末に登場した8000系新塗装はというと…正直あまり似合っていないように思う。見慣れればそれなりになるのだろうが、こちらの方はかなり賛否両論が出てきそうな感じがする。また、先ごろ改番した元3000系特急車も同じ塗装となるとこれまたあまり似合わないのではないかと思う。変更前からファンからブーイングが出そうな感じがする。これらの新塗装がどれだけ京阪沿線住民やファンに根付いていくのかどうか注目していきたいが、ファンとしては全ての車両を新塗装に置き換える必要もないのでは?という気もする。


京阪・百済貨物・神鉄など鉄活動

2008年07月06日 | 京阪

080706keihan8008  昨日に続いて今日も鉄活動を。5月、6月はそれほど鉄活動をしていなかったので、7月、8月は遠征も含めて活発に動こうかと思っています。とりあえず7月の連休に東京方面、次週はできれば北陸遠征、そして、8月には山口方面遠征を計画しています。どこまで行けるやら…。さて今日は昨日とりあえず待望の神鉄6000系を乗り撮りしたので、お京阪にちょい遠征。空いていそうだったので、久し振りに大和田へ行きました。イベント事があると主みたいな連中が場を占めていることが多い場所ですが、今日はパラパラ程度の人出。各人マーペースにべらべらしゃべって集中力を欠かせるような人間もおらずまったり撮影できました。元3000系の新8000系?を皮切りに、7201Fが京都方から姿を現し、続いてお目当ての8008F特急が立て続けに来て、その折り返しを撮影して退却。とりあえず京橋まで行って、080706yamatojidd511802 早めの昼食を取り、時計を見ると城東貨物線の列車に間に合う時間だったので、そそくさと環状線~大和路線を乗り継いで平野へ。平成19年版の時刻表を参考に貨物列車の時刻を手帳に書いていたのですが、おおさか東線開業により城東貨物線時刻も変わったようで…思っていたより遅い時間に来ました。もう少しで帰ろうかと思っていたら、上りの信号が赤になったので、これは!!と思ってスタンバイすると遠目に高架線を下ってくるDDが見えて、逆走貨物をGETしました。今後梅田亡き後、吹田や安治川口とともに貨物駅としての重要度が増してきそうな百済貨物ターミナル?ですが、前時代的な本線逆走を解消しなければ列車の増発もままならないのではないかと思います。東線開業により立派な高架線もできたことなので、そのまま高架線を延長して、百済貨物ターミナル?にそのまま入れるような配線にした方がよいように思います。

080706shintetsu6001  平野を辞して、少しブレイクタイムの後、次は神戸へ。昨日乗り撮りした神鉄6000系をもう一度撮影しようということで、昨日同様新開地から下り電車に乗車。鈴蘭台まで来ても上りに6000系の姿はなかったものの、車庫にもその姿はなかったので、運用されているのは間違いないということで有馬・三田線に絞って、谷上まで行き、谷上にて6000系を再びGET。新開地からというか阪急三宮からICOCAで乗って、谷上ではノーチェックになるので、再び神戸080706kyotoef81102nihon市地下鉄の三宮で降りられるのかどうかやってみればよかったが、実際には面倒なことになるのも嫌なのでというショウムナイ理由で、とりあえず谷上で降りて、マクドでマックシェイクを買って、再び改札に入って北神急行経由で三宮へ。暑い中久しぶりに飲んだ?マックシェイクはうまかったが、せっかくの機会だから、三宮~三宮間で下車できるものかどうか試せばよかった…。三ノ宮からはJRで帰途に着こうかと思ったが、とりあえず昨日と同様尼崎で直通快速の撮影を行い、帰りがけの駄賃を頂き、再度帰途に着く。茨木まで帰ったが、それでもまだ飽き足らず、摂津富田で、日本海を撮影することに。今日は曇りがちだったが、それでも陽がある時間帯なので、何とか撮影できて、漸く満足して今度は本当に帰途に着いた。


神鉄6000系

2008年07月05日 | 新型車両

080705shintetsu6001  今日は漸く神鉄6000系の初撮りと初乗りを果たすことができました。朝から先週に引き続き、JR宝塚線の223系丹波路快速の撮影をして歩き、伊丹や塚口で撮影を行い、一旦大阪に戻って、久し振りに吉牛で昼飯を…。昔は吉野家の牛丼と言えば、安い早いうまいというのが代名詞でしたが、昨今はメニューが増えたりして早くない店が多くなっています。昼時になると店員があたふたしている感もあり、BSEの影響は店のシステムにまで及んでいるのかなといつ行っても思ってしまいます。最近吉野家ではウナギも始めたのか、丑の日に向けて限定販売しているのかよくわかりませんが、牛に続いて問題になっているウナギをタイミングよく売り出しているのは何とも…[E:wobbly]

080705takara221b5  遅い牛丼を食べて今度は阪急に乗って神戸へ。新開地へ行くか、三宮で降りて谷上経由で6000系を追いかけるかどちらか迷ったので阪急に乗りましたが、JRの新快速と違って、はよ~て座れる阪急はいいですね。三宮までたっぷり眠ることができました。それにしても阪急神戸線って昔はもっと梅田から三宮まで乗る人が多かったように思います。それだけ新快速にやられてしまったということなんでしょうかね。とりあえず三宮はスルーして、新開地から神鉄に入って様子見をすることにしました。新開地から粟生行き普通に乗り込対向列車を確認すると、地下から出たあたりで早速6000系にぶち当たりました。何の苦労もなく、相手を確認できたので、鈴蘭台で降りて、とりあえず6000系の撮影を。鈴蘭台の一発で終わるのは勿体ないので、そのまま6000系に乗車して、横山まで行きました。6000系の車内はミニ阪急9000系という感じで、川重に造らせるより日立で造った方が良かったんじゃないかと思うほどでした。横山で6000系から降りて、とりあえずケツ撃ち撮影。しばらく待って折り返しを撮影して、その後は三田まで行って、三田からJR宝塚線で大阪方面へ戻りました。丹波路は4連以上の列車を除いてすべて223系に置き換わっているようですね。それでも朝の上りの1本目はまだ221系が使用されているので、221系ファンの方は早めに撮影をしておいた方がいいかもしれません。川西池田まで普通に乗って、川西池田から尼崎まで223系丹波路に初乗車。4連だと逆方向でもやっぱり立ち客が出ていますね。尼崎からは直通快速の運転時間に近かったので、東西線で京橋まで出て、2丁パンタの223系直通快速を撮影して帰途につきました。


神戸市営地下鉄海岸線

2008年07月04日 | 近畿

041021kobeshikaigan5107  神戸市営地下鉄海岸線は01年の7月7日に開業したが、同線にはその開業日に乗車している。それまで開業日に新しい路線に乗る乗り初めの趣味はなく、マニアが多くて嫌という理由から、たいてい時間を置いて乗ることが多かった。海岸線に乗った時はたまたま神戸方面へ出かけていて、そう言えば今日が開業日だったなと思い出して、衝動的に乗車しただけだった。それ以後も特に開業日に乗車するという趣味はないが、今里筋線は開業の翌日、おおさか東線は開業日に乗車しており、最近は早めに乗り潰すという感じで開業日近辺で乗ることが多い。開業日近辺で乗ると開業フィーバーで利用者が多いので、利用動向がよくわからないということもあるので、今後はできるだけフィーバーが収まってから乗るようにしたい。海岸線には開業直後の他にも何度か乗っており、当初は利用者が本当に少なくてこの先どうなるのかというイメージだったが、最近は多少は乗る人も増えてきている感じがある。それでも赤字続きには違いはなく、苦しい運営状況にあることには違いないところだろう。


JR指宿枕崎線

2008年07月03日 | 九州

050828ibusuki47603  指宿枕崎線は長らく日本最南端を走る鉄道として有名だったが、沖縄モノレールが開業して、最南端はそちらに譲ってしまった。それでも通常軌道の鉄道としては最南端を走る路線であることには違いない。同線には02年夏の九州遠征で初めて乗車している。九州には学生時代だけでも2回ほど遠征していたが、全ての路線に乗ることはできず、指宿枕崎線も懸案事項として残したまま社会人になってしまった。社会人になってからしばらくは乗り潰し趣味などはしなくなっていたが、いつの間にやら火が付いて、今のうちに乗り潰しておかなければという急いた気持ちになって乗り潰し活動を再開した。その第1弾とも言うべき九州遠征で指宿枕崎線を漸く乗り潰すことができた。暑い九州なのに、非冷房の気動車が走っており、終始窓を開けて暑さを文字通り凌ぐという感じの道中で、頭がぼーっとして眠ることもできず、ただただぼんやりと車窓を眺めるだけの道中だった。当時はまだ日本最南端の駅を誇っていた西大山の駅や記念碑?を車内から撮影して、開聞岳の優雅な姿を見ながら長い道中を終えて漸くという感じで終点の枕崎に着いた。かつては鹿児島交通が連絡していたが、広く荒れ果てた構内がその面影を残すだけで、鹿児島交通の遺構のようなものは見当たらなかった。折り返し時間はそれなりにあったが、それを逃すと気が遠くなるほど何時間も列車がないので、乗り遅れないように構内で待ち時間を過ごしてすぐに折り返した。帰りは山川から“黄色い快速”に乗って、行きとは違う快適な道中を過ごして鹿児島まで戻った。

 次に指宿枕崎線を訪れたのは05年8月28日の南九州遠征の時で、前日に日豊本線を普通列車で南下して鹿児島中央に着いて、1泊して翌朝一番列車で枕崎を目指した。8月末頃ということもあって夜明けの遅い南九州は朝の5時台ではまだ真っ暗で、途中まで道中は暗闇の中だった。西大山で降りて開聞岳をバックにした列車の撮影も考えたが、待ち時間があまりにも長いため断念して再び枕崎までの往復乗車となった。07年の九州遠征でも指宿枕崎線遠征を考えていたが、時刻表の読み違いと天候不良のため断念した。次回同線を訪れる機会があるなら是非とも開聞岳をバックに走る列車の撮影をしたいと思う。


JR三角線

2008年07月02日 | 九州

040725misumi31192  JR三角線は04年7月24日の九州新幹線、くま川鉄道乗り潰しに続いて、7月25日に乗り潰した。熊本で一泊して早朝駅前で朝一が行われている中駅へ向かい、キハ31三角線気動車に乗り込んだ。宇土までは鹿児島線を走り、九州新幹線が建設中の同駅からは三角線に入る。三角線と言えば地図で見れば天草へのアクセス路線の様相もあるが、実際には地域輸送がメインで、天草方面へは高速バスや高速艇がアクセスを務めている。日曜の早朝だけに車内は閑散としており、行き帰りとも利用者はあまり多くなかった。帰りはお決まりのように日曜なのに制服を着た高校生が乗ってくるという典型的なローカル線の光景であった。


くまがわ鉄道

2008年07月01日 | 九州

040724kumagawakt203  04年7月24日に九州新幹線で鹿児島中央に着いた後は、日豊本線と肥薩線を乗り継いで人吉へ向かった。吉松で後続の特急はやとの風を撮影して、いさぶろう・しんぺいに乗って人吉まで行った。当時のいさぶろう・しんぺいは指定席にはキハ47改造車が使用されていたが、自由席車はキハ31系が連結されていた。指定券をケチったわけではないが、かぶりつきがしたかったので先頭のキハ31系に乗車した。人吉までののんびりした旅を楽しみ、人吉からは少し肥薩線を外れて第3セクターのくまがわ鉄道に乗る。人吉までは天気が良かったが、くま川鉄道に乗る頃には雲行きが怪しくなり、途中から大雨が降ってきた。駅舎が特徴的な終点湯前に着いて、次の列車で人吉へと折り返した。雨は止むことがなく、せっかくの道中が台無しだった。その日は人吉から肥薩線を辿って、宿を取っていた熊本まで行ったが、途中肥薩線の対向列車の遅れなどで、熊本到着が大幅に遅れたのを思い出す。八代までの肥薩線列車は乗客が少なく、交換駅で運転士さんにどこから来たのかと声をかけられ、しばし歓談して、九州の特急は大雨などで列車が遅れることが多いことなどを聞いたものだ。