アラブに進出するロシアン・マフィア
前回「オイル・マネー・・・アラブの本音」から続く。
米国に面従腹背を続ける、サウジアラビア。
このサウジアラビアは領土の広さでも、産油量でも、資金面でも、アラブ最大の「力」を持っているが、実はアラブ諸国では「孤立」傾向にある。
アラブの王族は、6~7世紀のウマイヤ王朝の親戚であるハシミテ一族が全体の多くを占めている。現在のヨルダンのアブダッラー国王は4代目に当たるが、1代目のアブダッラー国王(同名)は、ウマイヤ王朝・ハシミテ一族の末裔に当たり、イラクのファイサル国王一族とは兄弟になる。そして現在のアブダッラー国王の妹ハヤ王女が、ドバイのムハンマド首長の妻となっている。
こうしたハシミテ一族のアラブ王族ネットワークの一人アリ国王が、かつてはサウジアラビアの地を支配し、ヒジャズ王国を名乗っていた。ここに現在のサウジアラビア王族が侵略を行い、ヒジャズ王国の一族を追放し、建国されたのが現在のサウジアラビアである。ハシミテ一族にとってはサウジアラビア一族は侵略者であり、一族からサウジアラビアの土地・原油を奪った「略奪者」である。
イスラエルと米国を打倒すると主張したサダム・フセインが2度に渡り米国と戦争を行った際に、パレスチナ人はサダムを強く支持した。そのため親米路線を取るクウェート、そしてサダム亡き後のイラクからはパレスチナ人が追放された。このパレスチナ人を受け入れ生活させてきたのがヨルダンである。「アラブ人全体への慈悲深い王家であるハシミテ一族」の面目を保ち、同時に親米のサウジアラビアに対する苦言を込めた行動をアラブの王家としてハシミテ一族が取った形になる。
これは、ヨルダンがイスラエル=米国によって繰り返されるレバノン等への軍事侵略に対し、パレスチナ難民を数十万人規模で受け入れ生活させて来た事の延長線上にあり、ヨルダンは、こうして明確に、そして静かに米国=サウジアラビアに対し抗議の行動を取っている。ヨルダンの人口の70%が、現在、パレスチナ人である。
2007年5月、世界経済フォーラムWEF=通称ダボス会議が、このヨルダンのリゾート地・死海に面したホテルで開催された。ここにはアラブの産油国を始めとした世界56カ国の政府首脳・財界人が集まった。
国際核兵器密輸マフィア=エネルギー・マフィアであるマーク・リッチの主催するダボス会議は、ハシミテ一族の本家であるヨルダンの持つハシミテ・ネットワークが、そのままアラブ王族のネットワークである事を明確に見抜いている。ヨルダンの静かな反米=反サウジアラビア路線を、ロシアン・マフィアとして反米路線を歩むマーク・リッチは明確に「利用価値あり」と判断し、ヨルダンでダボス会議を開催した。
ソ連共産党時代からロシアの原油を輸入し、加工してきたのが、かつて英国国営であった石油化学会社ICIであったが、この英国=ロシアの原油ネットワークに見られるように、英国の政界・財界トップとロシアの政界・財界トップは水面下では密接に連携している。
英国漁船が北海等で漁業を行い、ロシア・モスクワに到着し、ロシア製品を購入し、英国に魚と共に持ち込み販売する。これが英国の財界形成の1つの典型的なパターンであった。こうした魚船群の行う貿易が英国財界に富をもたらし、また漁船群そのものが、やがて英国海軍となり、大英帝国を形成する原動力となる。英国の国家形成に果たしたロシア「要因」は極めて大きい。
そして、現在のロシアン・マフィアの財界人達の多くはソ連共産党時代の財界人・官僚出身者であり、ソ連最大の収入源であった原油の加工・販売を担当した英国王家・財界とは密接な連携を持って来た。
英国ロンドン郊外にある王立サンドハースト陸軍士官学校には、アラブの富豪・王族の子弟達が、ほぼ全員と言って良い程、留学し、そこで青春時代を英国の王族・貴族・富豪、ロシアの王族・貴族・富豪の子弟達と共に過ごす。ロシアン・マフィアにとって、アラブの王族内部の問題は「身内の事のように分かる」。お互いが、実は「幼ナジミ」なのである。
ロシアン・マフィアの持つ英国貴族経由のサンドハースト陸軍士官学校ネットワークをバックに、マーク・リッチは、ヨルダン=ハシミテ王族のネットワークを「上手に使いこなそう」と動き始めている。
ヨルダンも、マーク・リッチの部下であるチェイニー副大統領の力を利用し、中東で初めて米国とのFTA(自由貿易協定)を締結している。そして国連からパレスチナ問題で非難決議を受け孤立したイスラエルの製品を、密かに「メイド・イン・ヨルダン」のシールを貼り、紅海のアカバ港から輸出し、米国経由で世界中に販売してきた。これはイスラエルに本拠地を持つロシアン・マフィア=マーク・リッチにとっても大きな貢献となっている。
そして、このヨルダン=ロシアン・マフィアのネットワークは、経済制裁を受けていたサダム・フセイン支配下のイラクの製品をも、ヨルダン経由で「メイド・イン・ヨルダン」として世界中に販売し、イラクの財界人の心を掌握し、ポスト・サダム・フセインの布石を敷いてきた。この「アングラ・ルート」形成の見事さは、マーク・リッチ直伝である。
こうしてアラブ諸国に核兵器が拡散して行く布石が着々と敷かれて行く。