格差階級社会をなくそう

平和な人権が尊重される社会を目指し、マスゴミに替わって不正、腐敗した社会を追求したい。

「陽光堂主人の読書日記」様『日本の独立』書評③

2010-12-13 08:49:46 | 植草一秀氏の『知られざる真実』
「陽光堂主人の読書日記」様拙著書評③
「陽光堂主人の読書日記」様が拙著『日本の独立』について極めて重要な部分を抽出して書評を掲載くださったことに深謝申し上げたい。全3回にわたる書評の第3回分を転載させていただく。
 
 

日本の独立
著者:植草一秀
販売元:飛鳥新社
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 我国では司法権も独立していないということを前回紹介しましたが、司法の関係で言えば、検察の暴走振りが最近では目に余るようになっています。著者によれば、この傾向が強まったのは、小泉政権の時代からだそうです。すべてが加速度的に悪くなったのは、この政権の時だと理解しておけばまず間違いないでしょう。
 
 小泉政権の時に、検察は戦前の特高警察のような秘密警察機関になってしまったのです。その端緒は、元大阪高検公安部長検事の三井環氏の裏金告発にありました。検察にも、警察官の仙波敏郎氏が内部告発したような裏金を作っていたのです。これは一大スキャンダルであり、マスコミに対して実名での告発を準備していた三井氏は、2002年4月に不当に逮捕され、実刑を科せられました。
 
 この冤罪事件はよく知られていますが、三井氏はこの裏金問題について、2001年3月に当時大阪地検検事正だった加納駿亮氏を刑事告発しました。折しも、総理大臣が森喜朗氏から小泉純一郎氏に交替した時期でした。
 
 この時の顛末について三井氏は、2006年7月15日に行われた「検察の実像」と題する講演の中で、こう語っています。
 
「…当時の原田明夫検事総長、事務次官の松尾邦弘、刑事局長の古田佑紀、古田は後藤田正晴氏が法務大臣だったときの秘書官だった人間です。その3人がそろって、10月26日だったと思いますが、東京・麹町の後藤田事務所を尋ねました。そこには後藤田元法務大臣と秘書官がいました。
 
 それで、彼らは「加納の検事長人事を内閣で承認してくれないと検察が潰れます」と泣きを入れたんです。潰れるというのは、検察の裏金問題が表ざたになるという意味だと思います。当時は、週刊文春とか週刊朝日がすでに裏金問題を報じていました。そして、(後藤田氏は)小泉の秘書官の飯島に電話連絡しました。そして、その日の会談はそれで終わって、翌日、小泉に原田検事総長が直談判をした。そこで事実上、加納の検事長人事が承認されました。正式な閣議は11月13日なんです。そこで正式に承認されました」(http://www.geocities.jp/ku_kai2006/4benkyokai.html)

 これでは検察は内閣に借りを作ることになりますから、何かあったら内閣(小泉氏)の言うことを聴かなくてはなりません。三井氏は、「ここが最近の国策捜査の原点」と述べていますが、こう解釈すれば、小沢氏の関連で検察が暴走している理由がよく判ります。特捜部が米国の手先になっていることは漸く知られるようになってきましたが、検察自体が時の権力と癒着しているのです。
 
 著者も冤罪によって被害を受けた人ですから、この辺りの記述は非常に説得力があります。本書には、冤罪に関連してとてもよい言葉が記されているので、最後にその部分を紹介したいと思います。

『…ここで明確にしておかねばならないことがある。有罪、無罪は人為の世界の区分であるのに対し、無実か有実かは、真実の世界、真理の世界の区分であるということだ。世の中には、無実であっても有罪とされる人がおり、有実であっても無罪とされる人がいる。
    (中略)
 重要なのは真理であり真実である。真理の世界、真実の世界で無実潔白であるなら、恥じるところは皆無である。真実と真理を洞察することなく人為の決定を絶対視する者は愚かである。そのような愚かな者を相手にする必要はない。
 
 人の価値は人為によって定められるのではなく、真理の秤によって定められるのである。この世に理不尽と不条理が絶えることはない。大切なことは人為に目を曇らされている人々に、真理を見つめる目を開かせることである。』(太字は引用者による)
 
 全くその通りで、著者の真摯な生き方が伝わってきます。この世は、情実と真実から成り立っています。情実に流されるのが人の常であり、真実を追究する人は少数しかいません。しかし真実だけが世の中を変革する力があります。真実を求める人がいる限り、希望は存在しているのです。
 
 ここまでが「陽光堂主人の読書日記」様が掲載くださった書評の転載である。同ブログでは、その後、毛利敏彦氏著『明治六年政変』の書評を掲載されている。拙著では第三部を「この国のかたち」として、日本政治体制の本質、淵源を解明することを試みた。私は明治六年政変が現代日本につながる日本近現代史の最重要の分岐点になったと考える。
 
 この明治六年政変について、一般的な俗説に反論を提示したのが毛利敏彦氏の『明治六年政変』(中公新社新書)であり、そのエッセンスを「陽光堂主人」様が分かりやすく再整理くださっている。
 

明治六年政変 (中公新書 (561))
著者:毛利 敏彦
販売元:中央公論新社
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「政治とカネ」の問題を望ましい方向に処理できず、「濁」が「清」を排除してしまったのが明治六年政変であるというのが私の判断である。「陽光堂主人」様の解説をお読みいただき、できれば、原典である毛利敏彦氏の著作をお読みいただきたいと思う。




日本の独立
著者:植草一秀
販売元:飛鳥新社
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誰が日本を支配するのか!?政治とメディアの巻
販売元:マガジンハウス
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売国者たちの末路
著者:副島 隆彦,植草 一秀
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知られざる真実―勾留地にて―
著者:植草 一秀
販売元:イプシロン出版企画
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「陽光堂主人の読書日記」様『日本の独立』書評②

2010-12-13 08:31:58 | 植草一秀氏の『知られざる真実』
「陽光堂主人の読書日記」様『日本の独立』書評②
「陽光堂主人の読書日記」様が拙著『日本の独立』について書評を掲載くださった。すでに第1回執筆分を12月7日付記事に紹介させていただいた。書評は3回にわたっているので、未掲載分を以下に掲載させていただく。
 
 


日本の独立
著者:植草一秀
販売元:飛鳥新社
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 「我国は法制上三権分立を採っていますが、実質的には官僚によって牛耳られていると言われています。立法も司法も行政も、官僚によってコントロールされているのが現状なのです。
 
 行政が官僚の縄張りであることは異論がないでしょう。立法も、議員に法案作成能力がないので、実際には官僚によってなされています。司法だけは、最後の砦として政治家や官僚の支配を受けていないと考えられています。ところが実際は、内閣をコントロールすれば、司法も支配下に置くことができるのです。
 
 著者は、裁判官の任命システムについて次のように説明しています。
 
 日本国憲法は最高裁判所の長官以外の裁判官を内閣が任命するとし、最高裁長官は内閣が指名し天皇が認証することを定めている。最高裁以外の下級裁判所の裁判官は最高裁判所が指名する名簿によって内閣が任命することが定められている。
 
 つまり、最高裁朝刊の指名権およびそれ以外の裁判官の任命権は内閣にある。この規定をどのように運用するのかによって実態は変わってくるが、内閣総理大臣は憲法の規定上、裁判所の人事権を握っていることになる。
 
 天皇による認証は国事行為で形式的なものですから、内閣総理大臣は実質的な裁判所の人事権を握っているわけです。現行のシステムでは、議会で多数を制した政党の党首が行政府の長になるので、制度を悪用すれば、内閣総理大臣は三権を意のままに操ることができます。これは非常に怖ろしい制度と言えましょう。
 
 現総理である菅直人氏は、今年3月16日に開かれた参議院内閣委員会でこう述べています。
 
「私は、ちょっと言葉が過ぎると気をつけなければいけませんが、議会制民主主義は期限を切った、あるレベルの独裁を認めることだと思っております」
 
 菅総理の無能振りは今や天下周知の事実ですが、だからといってその権力欲を侮ってはなりません。この発言に見られるとおり、菅総理は法制上独裁が可能であることを知っているのです。だから今の地位にしがみついているのです。
 
 現行のシステムにはこのような不備があるわけですが、著者は、歴代の総理には「権力の乱用」を抑制するだけの自制心があったと述べています。自民党内の少数派閥の意見も尊重されました。それを崩してしまったのが小泉純一郎氏で、それ以来、為政者による権力乱用が露骨になってきました。
 
 しかしここで見落としてはならないのが、真の権力の所在がどこにあるのかという点です。政府に対する指令が、駐日米国大使館から来ていることはよく知られていますが、その意を体して動くのは官僚で、多くの政治家は従属的な関係に置かれています。何故官僚にそんな力があるのかと言えば、敗戦後に戦前の権力基盤が残されたのは、官僚組織だけだったからです。軍隊の解散や戦犯の追放、財閥解体などが行われましたが、官僚組織はそのまま温存されました。米国は、我国の戦後統治に官僚を利用しようとしたのです。
 
 官僚支配構造の淵源について、著者は、明治維新後の「有司専制」にあると喝破しています。有司専制とは、藩閥官僚への権力集中による独裁体制を意味します。詳しくは本書に譲りますが、帝国議会が開かれたのは明治23年(1890)のことで、それまでは藩閥政治が行われていました。大日本帝国憲法第10条では官制大権が天皇に属すると規定され、官僚は「天皇の官僚」となりました。名実ともに官僚が支配者の一員として位置づけられたのです。
 
 現在の日本国憲法では、公務員は「全体の奉仕者」(第15条)と規定されており、もはや支配者の立場にはありません。にもかかわらず、支配者としてのDNAは今なお濃厚に残っており、国民の膏血を搾り取っていることは周知の通りです。官僚支配の打破こそ祖国再生の鍵となりますが、その後ろに控える米国の影響を排除しなければ実現は難しいでしょう。」

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