格差階級社会をなくそう

平和な人権が尊重される社会を目指し、マスゴミに替わって不正、腐敗した社会を追求したい。

日本が、「真の日本」であるためにー。 投稿者:渡邉エイ 投稿日:2012年 5月14日(月)20時55分5秒

2012-05-15 05:17:18 | 植草事件の真相掲示板


日本が、「真の日本」であるためにー。 投稿者:渡邉エイ 投稿日:2012年 5月14日(月)20時55分5秒
 私は、今年の2月に、米寿を迎えました。亡き夫を始め、すでに多くの姉や友人・知人が、この世を後にしていますので、私自身、いつ逝ってもよい、と思っています。
 でも、正直申しまして、今日の日本を見ていますと、何だか、”死んでも、死に切れない”思いです。
 例えば、テレビを観ていますと、綺麗に着飾ったコメンテーターと呼ばれる紳士・淑女たちが、小沢一郎議員に対して、”毒”の入った批判を繰り返しています。
 でも、あの方々は、本心から、「小沢議員は、実質、有罪である」と思っておられるのでしょうか?
 自分一人になられた時、ご自分の言行を、心から反省なさることはないのでしょうか?
日本人も、ずいぶんと変わってしまったな、と思います。

 今の方々から見ますと、戦時中に生きた私たちは、今日の北朝鮮の国民同様、政府によって“洗脳”された、不幸な人々といった感じでしょう。
 無論、私たちが、”知るべきことを知らなかった”、あるいは、”知らされていなかった”というのは、事実かも知れません。
 その意味で、私たちが、「無知」であった事は、否めません。しかし、反面、当時の日本人は、今の日本人に比べて、はるかに純粋・無雑だったように思います。
 つまり、すべてにおいて、”迷い”が無かったのです。その意味では、当時の私たちは、決して不幸ではなく、むしろ幸せだったと思うのです。

 ところで、今日の日本は、”最大の国難”の渦中に在ります。この国難を救えるのは、小沢一郎氏をおいて、他にいないのではないでしょうか。
 その小沢氏の政治活動を妨害し、そればかりか、同氏を葬り去ろうとする、今の多くの日本人の在り方は、私には、”狂気”としか思えません。
 とりわけ、小沢氏を葬ろうとする人々は、何故、「アメリカ」のお先棒を担いで、日本、および日本人を、これ以上、不幸に陥れようとするのでしょうか?

 しかし、4月26日、東京地裁において、「無罪判決」が出たのですから、小沢議員は、堂々と復権を果たされるべきだと思います。
 今回も、植草先生のメルマガでのご正論に対して、私は、胸を震わせるような高ぶりを感じました。
 私は、去る5月11日、民主党への入党を決意し、小沢議員の事務所を通じて、入党の手続きを済ませました。この度の植草先生のお導きに、心より感謝いたします。
 私はまた、小沢議員を直に応援したり、政治的に発言したりする力無き、草莽の一老女に過ぎない身ではございますが、小沢氏が民主党員であられる限り、同党を支持します。

 思えば、1993(平成5)年に、小沢氏が、自民党を割って出られた時より、私は、同氏を、”まことの政治家”として、心底、信じ抜いてきました。
 今も、その気持に変わりはありません。国のため、国民のために正しく導いて下さるのが、ただ一人、小沢一郎氏であると信じております。
 それゆえ、毎朝夕、神仏に、その身のご健全であること、また、どのような攻撃に身を晒されようとも、必ずや、小沢氏が、それに打ち勝って、国と国民を正しく導いて下さることを、心より祈念しています。

 先程も述べましたように、テレビで盛んに報道される番組で、人々は、我も我もと、小沢氏を貶しめています。
 たとえ、彼らは、容姿ともに端麗ではあっても、その下に流れる血潮が清明であるのか、また、自分が語っていることが間違っていないと自信が持てるのか、ふと立ち止まって反芻することが肝要かと思われます。
 なぜなら、人の世は、「利害得失」のみによって成り立っているわけではないからです。
良心にもとる事をして、まったく痛みを感じないなら、その人は、「生」を終える日の“審判”を待つしかありません。
 たとえ、人をけなし、貶しめることが、自らの「職業」であるとしても。・・・・

 小沢一郎議員が、堂々と今年の民主党代表選に出られて、初心を全うされ、結果、私たちを導いて下さることを、私は、心から祈念しています。
 そして、これこそが、日本が、「真の日本」であるための第一条件だと思うのです。
 【了】






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日本国家が、密かに行っている宣言

2012-05-15 05:06:07 | オルタナティブ通信

日本国家が、密かに行っている宣言


 現在、日本国内の銀行では1日にキャッシュカードで引き出せる上限金額、送金できる上限金額等が設定されている。

自分の資金を、どれだけ引き出し使っても、それは個々人の自由であり、銀行側に「制限」されるイワレは無い。

これは日本国憲法で保障されている財産権の侵害であり、明らかな違法・違憲行為である。

こうした制限が全ての銀行において行われているのは、

全ての銀行が、いつ倒産するか分からない状況にあり、破綻のウワサが流れることによって預金者達が一気に預金引き出しに押し寄せる、いわゆる取り付け騒ぎが起こる事を全銀行が恐れ、日本国家が恐れている事が原因となっている。

全ての銀行が倒産マギワと言う事を、日本国家が宣言している事になる。

大部分の銀行は、預金された資金を日本国債で運用している。

その国債が紙クズ化すれば、銀行預金は市民の手に戻ってこなくなり、大部分の銀行は日本政府に融資した=国債を買った融資資金がコゲ付き、破綻に追い込まれる。

当然、銀行経営者達は、破産寸前=紙クズ化寸前の日本国債の内情を知っているため、「そうなったら、どうしてくれるのか?」を問う。

そこで政府は、国債が紙クズ化し政府が破綻した場合、市民が「自由に預金を引き出せない」準備を整えておくと約束し、キャッシュカードで引き出せる金額の上限を設定させる。

国債が紙クズ化すれば、即座に市民は自分の預金を大部分、引き出すことが出来なくなり「手の打ちようがなくなる」。

そして新しい紙幣が発行され、100万円の預金に対し30万円等々だけが新札として払い戻される。

「国家が、旧札と新札の交換比率を10対3と決めたのであり、これは法律による決定であり、何人も逆らってはならない」という大号令がマスコミを通じて流される。

失われた70万円は、霞ヶ関官僚達が行って来た乱費の穴埋めに使用される。

国民の預金を70%を、「国家が、暴力づく、力づくで、召し上げる」、日本国家が独裁政治国家の仮面を被った、イツワリの民主主義国家であることが、その時、立証される。

これは「国家による決定」であり、銀行側は責任追及から逃れる事が出来る。

この銀行への免責の準備として、日頃から引き出せる預金金額に制限があることを国民に「知らしめ、納得させ、そのような制度に飼い慣らせておく必要がある」。

そのための、現在の、預金引き出し制限、送金制限である。

この引き出し制限は、全ての銀行が倒産寸前にある事、日本国家が破綻し、市民の銀行預金を国家が近い将来、略奪するという宣言である。






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