格差階級社会をなくそう

平和な人権が尊重される社会を目指し、マスゴミに替わって不正、腐敗した社会を追求したい。

米支配層は世界のエリートを操るため、買収、恫喝、暗殺、クーデター、軍事 侵略を使い分ける

2016-04-09 18:05:04 | 杉並からの情報発信

米支配層は世界のエリートを操るため、買収、恫喝、暗殺、クーデター、軍事
侵略を使い分ける

2016.04.08 櫻井ジャーナル

http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201604080000/

アメリカを拠点にしている「オリガルヒ」は各国の「エリート」を操るために
「飴」と「鞭」を使っている。カネと地位を約束して支配、そうした提示 を拒
んだ相手は何らかの手段で排除する。排除の手段には、例えば、メディアを使っ
たスキャンダル攻勢、情報機関による暗殺やクーデター、そして傭 兵や正規軍
を投入する軍事侵略がある。「留学」という形で若いうちから洗脳するというこ
とも行われてきた。そうした活動をテーマにした本も出され ている。

買収にオフショア市場/タックスヘイブンが利用されることは言うまでもない
が、その仕組みを作り、管理しているのは情報機関をコントロールしてい る米
英の一部支配層。もし買収した相手が裏切ったなら、いつでも「不正」を暴露し
て報復できるということでもある。EUのエリートは多くが買収さ れていると言
われ、アメリカ支配層に逆らうことは困難な状況だ。EUほどではないだろうが、
中国も若手は買収済みだと見られている。だからこそ、 中国がロシアへ接近し
たのはアメリカ支配層にとって衝撃だった。

買収に応じる、つまり私利私欲のために国を売り渡す人物が多いだろうが、拒否
する政治家もいる。そうした人びとは排除されてきた。例えば、イラン のムハ
マド・モサデク首相は1953年に、グアテマラのヤコボ・アルベンス・グスマン大
統領は54年に、コンゴのパトリス・ルムンバ首相は 1960年に、インドネシアの
アハマド・スカルノ大統領は1965年に、チリのサルバドール・アジェンデ大統領
は1973年にアメリカ主導のクー デターで排除された。1959年のキューバ革命を
率いたフィデル・カストロはCIAから合計638回にわたって命を狙われたという。
1981年に はパナマのオマル・トリホスが「飛行機事故」で死んでいるが、これ
はCIAによる暗殺だと言われている。

かつて、西ヨーロッパにもアメリカと一線を画すという姿勢を明確にしていた指
導者がいた。そのひとりがフランスのシャルル・ド・ゴール。フランス はイタ
リアと同じようにコミュニストの力が強かった国で、アメリカ支配層から睨まれ
ていた。

そのフランスで1947年に社会党系の政権が誕生、その内務大臣だったエドアル・
ドプは、政府を不安定化するため、右翼の秘密部隊が創設されたと 発言してい
る。その年の夏に米英の情報機関、つまりCIAとMI6と手を組んで秘密部隊は「ブ
ル(青)計画」と名づけられたクーデターを実行する 予定で、シャルル・ド・
ゴールを暗殺する手はずになっていたともされている。その後、新たな秘密部隊
「ローズ・ド・ベン(羅針図)」が創設され、 1961年にはOAS(秘密軍事機構)
組織された。

OASは1961年4月にスペインのマドリッドで秘密会議を開き、アルジェリアの主要
都市を支配してからパリを制圧するというクーデター計画につ いて討議した。
会議にはCIAのメンバーも参加している。その中心にはモーリス・シャレをはじ
めとする4名の将軍が存在、4月下旬に計画は始動し た。

ところが、アメリカのジョン・F・ケネディ大統領はジェームズ・ガビン駐仏大
使に対し、必要なあらゆる支援をする用意があるとド・ゴールへ伝える ように
命じた。アルジェリアからクーデター軍がパリへ侵攻してきたならアメリカ軍を
投入するということ。CIAは驚愕したという。(David Talbot, “The Devil’s
Chessboard,” HarperCollins, 2015)

その後、ド・ゴール大統領はポール・グロッシンSDECE(フランスの情報機関)
長官を解任、その暗殺部隊と化していた第11ショック・パラ シュート大隊を解
散させた。グロッシンはアメリカの極秘破壊工作機関のOPCを率いていたフラン
ク・ウィズナーと親しい。

1962年6月にOASは休戦を宣言するが、その一部は決定に従わず、この年の8月に
ド・ゴール暗殺を試みて失敗、計画に加わったメンバー全員は 9月に逮捕され
た。1963年11月にはアメリカでケネディ大統領が暗殺され、ド・ゴールも葬儀に
参列する。帰国後、フランス大統領は情報大臣 だったアラン・ペールフィット
に対し、ケネディに起こったことは自分に起こりかけたことだと語ったという。
黒幕は同じだという感触を得ていたよう だが、実際、同じ人脈が背後で蠢いて
いる。

1966年にフランスはNATOの軍事機構から離脱、翌年にはSHAPE(欧州連合軍最高
司令部)がパリを追い出され、ベルギーへ移動している が、1969年にド・ゴー
ルが失脚するとアメリカの影響力は再び強まり、SDECEもCIAの命令で動くように
なる。1995年にフランス政府は NATOの軍事機構へ一部復帰すると宣言し、
ジャック・シラクの次に大統領となったニコラ・サルコジ大統領は2009年にフラ
ンスをNATOへ完 全復帰させた。シラクは大統領の座を降りてからスキャンダル
攻勢にあい、2011年に執行猶予付きながら禁固2年が言い渡されている。








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