「しんとろの湯」で肌がすべすべになった後、728Dと1738Dを乗り継いで14時11分に川渡温泉駅に降り立ちました。
駅舎の中へ。外壁を取り囲むようにベンチが取り付けられており、左側(西側)にはトイレがあります。駅員は配置されておらず、そのスペースすらありません。写真は時刻表ですが、「リゾートみのり」を含めて上下16本ずつ停車します。鳴子温泉以西と比べて全然多いです。
いよいよ駅舎撮影。昭和58年11月12日築のコンクリート築の駅舎です。写っていませんが、右側には温泉旅館が何軒も載っています。
36分の滞在時間を利用して周辺散策。駅前には小ぢんまりとした土産物屋が1軒ありますが、周囲は御覧のような住宅地。川渡温泉は駅から西へ2kmくらいの所にあり、での訪問客は送迎バスを利用するのが一般的です。
14時47分発の1733D(キハ110-237+キハ110-243)で川渡温泉を後にします。2分くらい遅れていましたが、鳴子温泉駅で731D(キハ111-218+キハ112-218)に乗り継いで県境の駅を目指します。
15時15分に堺田駅に到着。交換設備が撤去されて棒線駅となっています。
使われなくなったホームには「分水嶺」の標識。標高は338mです。
いよいよ駅舎。昭和58年11月12日築のコンクリートの待合室で、駅員は居ません。
続いて時刻表。上下9本ずつで、同一方向で空白時間が3時間になることも。74分の滞在時間を利用して周辺を観光してきます。
坂を上ってR47まで出、右折して間もなく、「封人の家」に到着。昭和44年12月に復元された旧有部家住宅でもあり、入館料は250円です。芭蕉と曽良が大雨で3日間滞在した所で、館内には姫神の音楽が延々と流れていました。裏手の方に芭蕉の有名な「蚤風 馬の尿する 枕もと」という句碑がありましたが、撮り忘れました。
一通り見た後、分水嶺公園へ下ります。その途中に蓮園を通過しました。いわば「天上の楽園」というべきか。
東屋で少し休憩し、分水嶺公園に到着。このようなモニュメントが立っており、最上町が整備した公園だなと感じました。
これが肝心の分水嶺。
公園を見終わった後、再び列車に乗るべく「山峡の道」の掲示を見て駅に下ります。
つづく
駅舎の中へ。外壁を取り囲むようにベンチが取り付けられており、左側(西側)にはトイレがあります。駅員は配置されておらず、そのスペースすらありません。写真は時刻表ですが、「リゾートみのり」を含めて上下16本ずつ停車します。鳴子温泉以西と比べて全然多いです。
いよいよ駅舎撮影。昭和58年11月12日築のコンクリート築の駅舎です。写っていませんが、右側には温泉旅館が何軒も載っています。
36分の滞在時間を利用して周辺散策。駅前には小ぢんまりとした土産物屋が1軒ありますが、周囲は御覧のような住宅地。川渡温泉は駅から西へ2kmくらいの所にあり、での訪問客は送迎バスを利用するのが一般的です。
14時47分発の1733D(キハ110-237+キハ110-243)で川渡温泉を後にします。2分くらい遅れていましたが、鳴子温泉駅で731D(キハ111-218+キハ112-218)に乗り継いで県境の駅を目指します。
15時15分に堺田駅に到着。交換設備が撤去されて棒線駅となっています。
使われなくなったホームには「分水嶺」の標識。標高は338mです。
いよいよ駅舎。昭和58年11月12日築のコンクリートの待合室で、駅員は居ません。
続いて時刻表。上下9本ずつで、同一方向で空白時間が3時間になることも。74分の滞在時間を利用して周辺を観光してきます。
坂を上ってR47まで出、右折して間もなく、「封人の家」に到着。昭和44年12月に復元された旧有部家住宅でもあり、入館料は250円です。芭蕉と曽良が大雨で3日間滞在した所で、館内には姫神の音楽が延々と流れていました。裏手の方に芭蕉の有名な「蚤風 馬の尿する 枕もと」という句碑がありましたが、撮り忘れました。
一通り見た後、分水嶺公園へ下ります。その途中に蓮園を通過しました。いわば「天上の楽園」というべきか。
東屋で少し休憩し、分水嶺公園に到着。このようなモニュメントが立っており、最上町が整備した公園だなと感じました。
これが肝心の分水嶺。
公園を見終わった後、再び列車に乗るべく「山峡の道」の掲示を見て駅に下ります。
つづく