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鉄道の旅を楽しみながらJR線全駅踏破を目指しています。

2021年夏の「青春18」最後の1回(その8)

2022-03-28 13:18:00 | 新潟の鉄道(駅舎関係)

前回の記事で反映出来なかったですが、JR北海道と小樽市、余市町は一昨日、函館本線の小樽~余市間のあり方について協議が行われました。その結果、小樽市と余市町が共にバス転換を受け入れ、小樽~長万部間が北海道新幹線札幌延伸を機に廃線になることが昨日正式に決まりました。国の支援が得られない中で函館本線の「山線」の存続は矢張り厳しかったでしょう。北海道新幹線札幌延伸後は、マッサンの舞台に鉄道が通ることはありません。



さて、本題に。長谷川邸に入館し玄関の間に通されると、襖絵が何故かるろうに剣心



二の間と上段の間。



上段の間から望む庭園。苔むして風流です。



長谷川邸の柱には、釘隠しに縣魚が



現役当時のトイレ。現在は使用できません。



湯殿。



仏壇。



長谷川家のはっぴ。長谷川家は、近世初期以降になってこの地に居を構えて、土地開発や治水事業など村の開発を通して、山村地主として地位を固め、代々庄屋を勤めてきた旧家です。



明治末期の長谷川家のポートレート。テニスコートがあり、テニスを楽しんでました。現在のヨネックスと大いに関係あるでしょう。



扇風機。当時にタイムスリップしたかのようです。



再び上段の間へ。



台所へ。これは土釜。



主屋を見終えて新屋敷へ。中には収蔵品がありましたが、撮影禁止。



最後に土蔵を。ここは立ち入り禁止。



駅に戻ります。その途中、昔ばなしとほたるの館に立ち寄ります。



厳重な検温と住所を書くことが求められてDVDの間へ。その向こうにはほたるの展示。



で、奥には三波春夫のスペースが。国民的歌手として、全国のファンを魅了し続けました。



三波春夫は大正12年7月、本屋を営む北詰幸三郎・ミヨの三男として、新潟県三島郡塚山村塚野山に生まれました。子供の頃から歌がうまく、13歳で上京して米屋、製麺所、魚河岸で働く傍ら、16歳で日本浪曲学校に入学、南條文若の芸名で麻布六本木の奇席、新歌舞伎座で初舞台を踏み、一番看板の座長として全国巡業を開始しました。その後、出征、シベリア抑留を経て、昭和27年にゆきと結婚。昭和32年に「チャンチキおけさ」でデビューしてからは、国民的歌手の道を歩みました。昭和61年に紫綬褒章を、平成6年には勲四等旭日小綬章を受章されました。平成13年4月14日に逝去。



ヨネックスの工場に差し掛かると、小国車庫行きバスと一瞬の邂逅


 話が変わりますが、広島電鉄は今日、ダイヤ改正を実施しました。
 まずは、1号線から。広島港(宇品)の始発が559から618に繰り上がっています。
 次に、2号線。広電宮島口方面から広電本社前ゆきを4本増やし、広島駅ゆきを4本減らします。広電本社前1728発広電宮島口ゆきを新設(復活)します。そして、夜間の下りが11分おきから9-10分おきに改められます。
 3号線は、ラッシュ時を8分おきから15分おきに改められます。
 そして、9号線。平日の2本の直行便(江波〜八丁堀〜白島)を廃止し、9-21時台を8分おきから10分おきに改められます。


つづく


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