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パレスチナ問題とは・・・・・

2006年07月10日 11時31分48秒 | 宗教を考える

パレスチナ問題と言うことを新聞等で報道されていますが、そもそもパレスチナ問題とは、何なんでしょう?

パレスチナは、地中海の東海岸に面するレバノン、シリア、ヨルダン、エジプト、さらにシナイ半島に囲まれた地域の名前です。
その地域の大部分にイスラエルが建国され現在はガザ地区とヨルダン側西岸でパレスチナ自治政府が展開されているのです。(PLO=パレスチナ解放機構は、1964年に設立されたパレスチナ人の政治、軍事的組織で、国際的に唯一承認されています)

 

このパレスチナの地域は16世紀初頭から「オスマン帝国」というイスラム国家の支配下にありましたが。第1次世界大戦後はイギリスに占領されました。

今日、このパレスチナ問題の発端は、中東での覇権をめざしたイギリスの態度にあります。
イギリスは、第一次世界大戦でオスマンと戦い、戦争を有利に運ぶために「三枚舌外交」を行ったことから複雑化にさせました。

フランスとは、戦後に中東を両国で分割の約束をし、アラブ人には、パレスチナを含むアラブ国家の独立を認め、ユダヤ人に対してもパレスチナでの「民族的郷土」の建設を約束しました。

紀元1世紀にユダヤ王国がローマ軍に滅ぼされ、世界に離散したユダヤ人は、19世紀以降、ヨーロッパにおける反ユダヤ主義が高まるなか、自分たちの国の建国を目指してパレスチナに移住を開始しますが、ナチスによるユダヤ人の迫害がこの移住に拍車をかけますが、600万人とも言われるユダヤ人が虐殺されたのが、このパレスチナ問題の背景にもなっているのです。

第2次世界大戦後、パレスチナ人とユダヤ人の衝突とイギリスを標的とするテロに手を焼いたイギリスは、この問題解決のため国連に委ねます。
1947年11月、国連はパレスチナをパレスチナ人とユダヤ人の国家に分割し、エルサレムを国際管理下に置くという決議を採択します。

しかし、イギリス軍が撤退するとユダヤ人は、イスラエルの建国を宣言し、それに反対するアラブ諸国がイスラエルに攻め込み第一次中東戦争が勃発します。
戦争の結果、イスラエルは、国連の決めたユダヤ人の領土をはるかに越えて侵略、追い出されたパレスチナ人が難民となりました。

イスラエルが侵入しなかったヨルダン川西岸ガザ地区はそれぞれヨルダンとエジプトが占領しました。以降3回の中東戦争により、イスラエルは全パレスチナを支配し、さらにシリア領のゴラン高原とエジプトのシナイ半島も占領しました。

国連は占領地からの撤退を採択しますが、シナイ半島は返還されたものの、他は基本的に占領状態が続いています。
和平への努力が、1993年ノルウエーの仲介でPLOとイスラエルは話し合いで解決することに同意します。これが「オスロ合意」です。

1994年にはパレスチナ自治政府が発足し、選挙の結果PLOのアラファト議長が行政機関の長官に当選しました。

その後の交渉は、イスラエルに巨額の軍事援助を行うアメリカが仲介の主導権を握ったことやイスラエルが入植地の拡大政策をとったこと、オスロ合意を認めない過激派によるテロなどで難航し、オスロ合意での5年の期限が切れてしまい、まだまだ混沌としたパレスチナ問題は、解決の糸口が見つからない状態です。