映画「清須会議」を見てきました。
”清須”には違和感があり、”清州”ではないかと不思議に思っていたのですが・・・・
昔から、清州と清須は混同して使われていたようです。
2005年に西枇杷島町と新川町と清州町が合併して、清須市が誕生しました。
この時、清州市にしなかったのは、清州町に吸収合併されたような印象を残したくないということで、清須市にしたとも云われています。
東海道本線の駅も学校も今なお、清州なのです。
今でも清須市には、清州駅があり、清州城があり、清州小学校、清州中学校があります。
どちらでも良いようですが、どちらも本によってバラバラに載っており、紛らわく統一出来ないものなのでしょうか?
さて、映画「清須会議」ですが、三谷幸喜原作、脚本、監督ということで、史実とどれだけ逸脱したコメデイになったのかを楽しみにしていたのですが・・・・
歴史上有名な会議だけに、結果は兎も角、その経緯については、本当のところの史実は分かりません。
その分からないところを、コミカルに、多分こうだろうと言うことで、映画は進みます。
日本史上初めての会議といわれ、それが歴史を動かしたとも云われています。
本能寺の変で織田信長、信忠親子が、明智光秀に討たれ、跡を継ぐのを誰にするのか、それと領地の再配分をどうするかが議題の会議でした。
後見に名乗りを上げたのは、筆頭家老の柴田勝家(役所広司)と仇を討った羽柴秀吉(大泉洋)でした。
勝家は、武勇に秀で且つ聡明な信長の三男信孝(坂東己之助)を、秀吉は、次男であるが大うつけの信雄(妻夫木聡)を後継者として推します。
ここに勝家と秀吉が思いを寄せるお市(鈴木京香)が絡みますが、そのお市は、夫や息子を殺された秀吉への恨みから、勝家に嫁ぐ決心をします。
秀吉は、信雄では勝ち目がないと考え、そこで信忠の長男、信長の孫である三法師を、正当な後継者として推します。
会議には、勝家、秀吉の他に、勝家の盟友の丹羽長秀(小日向文世)、それに会議に遅れて来ない滝川一益(阿南健治)の代わりに野心家の池田恒興(佐藤浩市)の4名。
ここで、一進一退の駆け引き、騙し欺かれ、取り巻く人の思惑が絡み合い、会議は進行します。
この映画では、最後に秀吉が勝家を見送り、その際に恩を売ります。
秀吉の狡猾さと勝家のお人よしさが表れており、それが、これからの歴史を変えるのですが・・・・・
この会議の議題の一つに領土の再配分があったのですが、この映画ではそれがありません。
この領土の再配分にこそ、後継者を決める決めての一つであり、秀吉の巧みな思惑があったのですが・・・・
ちなみに、領土再配分は、次のように決まったとされています。
秀吉が勝家を懐柔したのには、勝家の領地の越前国は雪で閉ざされた期間がながく、近江に出たい思いがあり、そこを見越して、秀吉の領地である長浜と北近江3郡を勝家に与えました。
これが勝家を喜ばせました。
秀吉自身は、山城国を、三法師の後見人としての信孝には美濃国を領し、岐阜城に入り、信雄は尾張を領し、清州城に入りました。
これらすべてとは言いませんが、秀吉の天下取りの布石となったのに違いないのですが・・・・