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阪急電車のあれこれ ⑤  沿線の開発で乗客増を図る

2016年02月29日 19時45分27秒 | 鉄道のよもやま話

創業当時の沿線は、大阪梅田から有馬の温泉と箕面の滝を結ぶということで出発しました。
沿線には、これといった観光地も行楽地もありませんでした。
なければ、作るというのが小林一三の取り組みでした。

明治43年(1910年)箕面有馬電気軌道が開始されると、その3か月後には池田市に分譲住宅の販売を行っています。
日本で初めて開発された分譲住宅の販売です。
その後も桜井、豊中、西宮北口、岡本など次々と住宅街が経営され、阪急沿線にふさわしい住宅都市を形成し、乗客を増やしてゆきました。

  
   現 宝塚大劇場と阪急電車今津線         1930年頃の大劇場公演  


他にも日本で初めてがあります。
明治44年5月には、宝塚駅に宝塚新温泉つくると、大正3年(1914年)には宝塚唱歌隊(後の宝塚歌劇団)による公演を開始した。

   
 2012年 阪急ビル 地上12階地下2階が阪急百貨店   1929年 創業当時の阪急百貨店


 
   
  現在(2015年12月撮影)の阪急中央コンコース     2005年頃の中央コンコース 



昭和4年(1929年)4月には梅田駅に日本発のターミナル・デパートの阪急百貨店を開業しました。

このように、鉄道事業を中心とした、住宅街、商業施設、娯楽施設などを経営し、相乗効果で利益を上げるという手法を取りました。
この手法は、他の私鉄各社の手本ともなりました。
東京急行電鉄の創業者 五島慶太がが、小林の商法を取り入れ、田園調布に住宅地を開発し、東横百貨店(現・東急百貨店)を渋谷に開業しました。

特に阪急の場合は、やみくもに手を広げたわけではなく、イメージを大切にし、高級感を維持しながらサービスを追求しました。

だからこそ、いまだに阪急沿線一帯は、関西の人々に高い支持を受けているようです。