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もう一度 高知城 ⑮ その2 

2015年10月04日 10時45分44秒 | 旅行・観光

新幹線で岡山へゆき、マリンライナーで高松へ行き2泊して用事を済ませ、朝 いしづち5号、南風5号と乗り継いで昼過ぎに高知に着きました。

荷物をホテルに預け、高知城に向かいました。
辺りは官庁街で、県庁所在地には、城下町としてよくある風景です。

  

  


もともと四国は長曾我部氏の所領でした。
それが関ケ原の戦いで西軍についた長曾我部氏は改易され、代わって山内一豊が掛川城から土佐国一国 24万2千石を与えられ入城しました。

山内一豊の妻千代は、良妻賢母として有名ですが、その一豊と千代の銅像が、以前訪れた郡上八幡城にもありました。
それは、千代が、美濃郡上八幡城主 遠藤氏の系図に 遠藤盛教氏の娘が山内一豊の室千代であると記載があることから、千代の出生地であるとされ、銅像があるようです。

   
  高知城にある千代の銅像      郡上八幡城の千代の銅像 山内家 家紋

山内一豊は、岩倉織田氏の重臣の三男として生まれますが、織田信長に滅ぼされ一家離散してしまい、尾張、美濃地方を転々とし、その中で千代と巡り合ったとされています。

その後は、信長、秀吉、家康に仕え、そこには千代の内助の功が色々と語られています。

  
   山内一豊像                板垣退助像も 土佐出身


 高知城



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