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われは知る母の苦痛を胆嚢を子宮も大腸もきりとられたり / 日置俊次
「泣きに出でたり」からの一首。この一、二年に身近な人たちが相次いで逝く。今日も米ジャズ
ピアニストのデイブ・ブルーベックがなくなっている。ところで、スーパーリアルという言葉が
あるが、短歌にもそのような表現形式があるのか門外漢にとってわかろうはずがないが、そんな
言葉が思い浮かんだ一首だ。そうであれば、「苦痛」を取り除いたらこの歌はどう変化するのだ
ろうかと咄嗟に考えた。そして、感情を切除することで、あらゆる「死」の日常を取捨して何が
残るのか。ここで予定調和なことは封印しよう。そこまで考えさせキラットと輝く一首と出会う。
米ジャズピアニストのデイブ・ブルーベックがなくなった。91歳だった。1950年代初めにアルト
サックス奏者ポール・デズモンドらとデイブ・ブルーベック・カルテットを結成。1959年のアル
バム「タイム・アウト」に収録された「テイク・ファイブ」は5拍子というユニークなリズムで、
ジャズでは初のミリオンセラーとなった。1920年にカリフォルニア州コンコードで牧場主の父親
の下に生まれ、音楽教師だった母親の影響で5歳でピアノを始める一方、10代の頃はカウボーイ
として優れた能力を見せる。大学では獣医を目指したが、数年後に音楽科に転向し、ナイトクラ
ブでピアノ演奏を開始。1940年代にサンフランシスコに移り、その後戦時中から親交があったデ
ズモンドと組んで人気を博す。
梅田界隈は再開発ですっかりと変貌、いや都会の化粧直したが、かっての学舎の曾根崎小学校は
いまは北小学校を経て廃校された。少子化に加えて都心部のドーナツ化現象で児童数が激減し、
梅田東小学校を統合し、1989年に旧曽根崎小学校校地に新設されたが、統合後も児童数の激減傾
向が続き、閉校直前の2002~2006年度には複式学級を導入したものの2007年3月をもって閉校し、
大阪市立扇町小学校に統合されている。1997年から募集を停止していた併設幼稚園(大阪市立曽
根崎幼稚園)も同時に閉園となる。曽根崎小学校は、都心部の繁華街を校区にしていたこともあ
って、1950年代以降健康教育に力を入れ、1961年、朝日新聞社主催の健康優良学校日本一に選出
されている。
そのような環境で育った関係で、登下校のアーケード街には流行歌が漏れ溢れていた。喫茶店ブ
ームもあり、同級生の綿貫という姓の女の子の喫茶店横の喫茶店「田園」ではジャズバンド・ハ
ワイアン・バンドなどの生演奏を自然と耳にし、中高生時代は坊主頭で「テイクはファイブ」「
A列車で行こう」などを聴いたりしていた。懐かしい。そういえば青果店の林という男の子は?
食品雑貨店の尾家という女の子はどうしているのか?次々と卒業アルバムのように顔が思い出さ
れてくる。まぁ、今夜はすっかり疲れているのでそれ以上の記憶にまつわるイメージが膨らまな
いが、記憶に残る日々を時間と共に思い出していくだろう。
デジタル革命の進行は身の回りのものも急速にダウサイジング(軽・薄・短・小)とワイヤレス
化した商品が生み出されている。007号ではないが、携帯情報端末器の追跡デバイスが販売さ
れている。勿論性能やコストの比較は不可能だ。なぜなら1年前にはなかったからだ。思えば来
るべき経営危機に備えるために、1991年に職場でマルチメディア研究会を立ち上げたが、当時想
定したことが、20年後のいますべて実現しているのだ。こんなことは、もっと自信を持って語
らなければならないのだが、夢のような『贈与経済』の実現(次世代型太陽電池の世界展開-想
定市場規模30兆円)に踏み出しているのだ。実に感慨深く、実に面白いことだ。
朝からの作業で気がつけば夕食前になっていた。余り前のめりにならぬようにと思い直しペース
を落とす。選挙戦が開始したかと思えば、北朝鮮が試験ロケット発射の再会だという。国政選挙
についてのコメントをこれから投票日まで適宜行っていく。
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