【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】
●里山資本主義異論
「人が生きていくのに必要なのは、お金だろうか。それとも水と食料と燃料だろうか」という問
いかけから分水嶺となる。政府紙幣であっても地域通貨であっても、小切手であっても、労働証
書であっても、いま流行のビット・コインであっても、「交換媒体機能」を有すものであれば、
もう少し踏み込んでいうと「信用決済機能」を有するものなら何でも良い。個人的なことを言わ
せてもらうなら、例え数種類の貨幣を取り扱うことで、経済全体が活性することが期待できたと
しても、決済が早くて、煩雑さが少なく、余分な管理諸経費の発生の少ない、簡素な単一貨幣制
度の方が良いと考えてしまうのだが、「1ペニーの支出は1ペニーの所得になる―資本主義経済
と貨幣の役割に関するケインズの考え」(ポール・デヴィッドソン著、小山庄三・渡辺良夫訳
『ケインズ・ソリューション』/第4章)で記述されている機能以外に何を期待するというのだ
ろう。まして、現在は鍋、釜、七輪や飛脚、籠、馬、そして、年貢米の時代ではない。間伐材を
払うのも、鋸ではなく、チエン・ソーを使い、木材搬送車など使い、デジタル情報通信機器を使
い運用する時代だ。部品1つとっても高度な加工技術が使われているわけで、その部品1つが劣
化すれば修理するのも、交換するのも大変な労力を個人に強いるはずだ。それではいったいどの
ようなイメージで経済を捉えているのか読み進めてみよう。
加工貿易立国モデルが、資源高によって逆ザヤ基調になってきている
人が生きていくのに必要なのは、お金だろうか。それとも水と食料と燃料だろうか。
食料も地下資源も自給できない日本ではこれまで、このように問うこと自体が愚かだった。
「水も食料も燃料も、日本ではお金で買うものだ。そもそも輸出産業が稼いだお金があって、
はじめて外国から食料と燃料を輸入できる。本来豊富にあるはずの水も、都市部では巨大な
上水道システムを回さなくては供給できず、そこでは輸入した燃料を燃やして作った電気が
大量に使われている。お金なくして、この小さな島国に1億3千万人近くもひしめく我々の
生存はない。
そしてそのお金を稼ぎ続けるには、経済が成長していかなくてはならない。しかるに日本
の景気は長期の低迷の中にあり、かつて世界一と謳われた国際競争力はもはや地に落ちてい
る。だからこそ今の日本にもっとも必要なのは、国としての成長戦略であり、景気回復策な
のだ。一番手っ取り早いのは金融を緩和して、世の中にお金をもっとたくさんたくさん、ぐ
るぐると回すことだろう。どんどんお札を刷ればいい。刷れなくても、日銀が国債を買い込
んで日銀券で支払ってくれれば同じことだ。
何、将来世代に負担を残す? 将来を語るのは、目の前の不景気をまず解決してからにし
ろ。何、金融緩和は効かない? 効かないなら効くまでやれ」
……というような議論は、最初から少々決め付けが過ぎるうえ、後になるほど論理が飛躍
して行く。しかしながら東日本大震災から2年を経たこの日本は、この「お金をぐるぐる回
せば万事が解決する」論に染まり始めた。自分の尻尾を噛もうとしてぐるぐる回る大のよう
に、実際にはやればやるほど体力を失って、自分の首を絞めてしまう話なのだが。
そもそも日本の国際競争力は、地に落ちてなどいない。報道とは違って日本製品の多くが
着実に売れ続けているのに加え、これまでの海外投資も多くの金利配当収入をもたらし、バ
ブル崩壊以降の20年間だけでも3百兆円ほどの経常収支黒字が外国から流れ込んだ。だが
そのお金は貯蓄されるばかりで国内の消費に回らない。金融緩和も進められ、マネタリーベ
ース(日銀が供給する貨幣の量)も同時期に2・5倍に膨れ上がったが、名目GDPはぱっ
たりと成長を止めてしまった。仕方がないので政府がポンプ役を買って出て、国債を発行し
て貯蓄を吸収し「景気対策」につぎ込んできたが、それでもお金が自分でぐるぐる回りだす
ことはなく、消費は一向に増えないままだ。気がついてみると、約千兆円の借用証書を書い
た日本政府に、税収として還ってきているのは年間40兆円未満。毎年税収と同額以上を借
り増ししないと資金繰りが回っていかない。そうこうしているうちに国内の貯蓄がすべて国
債になってしまう状況が近づきつつある。
他方で海外に支払う燃料代は年々増えている。日本の石油・石炭・天然ガスなどの輸入額
は、20年前には年間五兆円に満たなかったが、中国やインドの経済発展を受けて世界的に
資源価格が上昇した今では、年間20兆円を超えているという。それでも工業国同士の競争
となると日本は強い。震災・ユーロショック・超円高が連鎖した2011年ですら、EU・
米国・中国・香港・韓国・台湾・シンガポール・タイ・インドから合計14兆円の貿易黒字
を稼いだ。だがその儲けは全部アラブ産油国などの資源国に持っていかれてしまい、最終的
にはマイナス2兆円と31年ぶりの貿易赤字に落ち込んでしまった。資源を貿ってきて製品
にして売るという加工貿易立国モデルが、資源高のせいで逆ザヤ基調になってきているのだ。
マネーに依存しないサブシステムを再構築しよう
もう一度問おう。われわれが生きていくのに必要なのは、お金だろうか。それとも水と食
料と燃料だろうか。
間違えてはいけない。生きるのに必要なのは水と食料と燃料だ。お金はそれを手に入れる
ための手段の一つに過ぎない。手段の一つ? 生粋の都会人だと気付かないかもしれない。
だが必要な水と食料と燃料を、かなりのところまでお金を払わずに手に入れている生活者は、
日本各地の里山に無数に存在する。山の雑木を薪にし、井戸から水を汲み、棚田で米を、庭
先で野菜を育てる暮らし。最近は鹿も猪も増える一方で、狩っても食べきれない。先祖が里
山に営々と築いてきた隠れた資産には、まだまだ人を養う力が残っている。これに「木質バ
イオマスチップの完全燃焼技術」といった最先端の手段を付加することで、眠っている前近
代からの資産は、一気に21世紀の資産として復活する。
さらには、震災で痛感した人も多いはずだ。お金と引き換えに遠くから水と食料と燃料を
送ってきてくれているシステム、この複雑なシステム自体が麻痺してしまえば、幾ら手元に
お金があっても何の役にも立たないということを。あのとき一瞬だけ感じたはずの、生存を
脅かされたことへの恐怖。貨幣経済が正常に機能することに頼り切っていた自分の、生き物
としてのひ弱さの自覚。その思いを忘れないうちに、動かなくてはならない。お金という手
段だけに頼るのではなく、少なくともバックアップ用として別の手段も確保しておくという
方向に。そう難しい話ではない。家庭菜園に井戸に雑木林に石油缶ストーブがあるだけで、
世界はまるで変わる。お金で結ばれた関係だけではない、日ごろの縁と恩でつなかった人間
関係があるというだけで、いざというときにはかけがえのない助けとなる。
「里山資本主義」とは、お金の循環がすべてを決するという前提で構築された「マネー資本
主義」の経済システムの構に、こっそりと、お金に依存しないサブシステムを再構築してお
こうという考え方だ。お金が乏しくなっても水と食料と燃料が于に入り続ける仕組み、いわ
ば安心安全のネットワークを、予め用意しておこうという実践だ。勘違いしないで欲しいの
だが、江戸時代以前の農村のような自給自足の暮らしに現代人の生活を戻せ、という主義主
張ではない。お金を媒介として複雑な分業を行っているこの経済社会に背を向けろという訳
でもない。庄原の和田さんも言っている。「お金で買えるものは買えばいい、だがお金で買
えんものも大事だ」と。前章のオーストリアの例のように、森や人間関係といったお金で買
えない資産に、最新のテクノロジーを加えて活用することで、マネーだけが頼りの暮らしよ
りも、はるかに安心で安全で底堅い未来が出現するのだ。
ただし里山資本主義は、誰でもどこででも十二分に実践できるわけではない。マネー資本
主義の下では条件不利とみなされてきた過疎地域にこそ、つまり人目当たりの自然エネルギ
-量が大きく、前近代からの資産が不稼働のまま残されている地域にこそ、より大きな可能
性がある。また里山資本主義は、マネー資本主義の評価指標、たとえばGDPや経済成長率
を、必ずしも大きくするものではない。それどころかまじめに追求していくと、これらの指
標を縮小させる可能性もある。しかしそれは、「海外資産の活用による金銭換算できない活
動が、見えないところで盛んになって、お金に換算できない幸せを増やす。ついでに、お金
で回る経済システム全体の安定性も見えないところで高まっている」という話にほかならな
い。
『中間総括「里山資本主義」の極意』
ここで「最近は鹿も猪も増える一方で、狩っても食べきれない。先祖が里山に営々と築いてきた
隠れた資産には、まだまだ人を養う力が残っている。これに「木質バイオマスチップの完全燃焼
技術」といった最先端の手段を付加することで、眠っている前近代からの資産は、一気に21世
紀の資産として復活する」と述べて、科学技術の効用をあっさり認めているが、ここ引用されて
いる"完全燃焼"の定義が、つまり、"タールフリーな木質バイオマスチップ"や "タール高効率除
去"を含んだ "完全燃焼技術"なのかという問題は、ここでは置いておいて、経済側面から「GD
Pや経済成長率を、必ずしも大きくするものではない」との件で肯定しているが、そんなに簡単
に認めて良いのだろうか?なるほど、「デジタル革命」を担う半導体製造・応用・利用技術の1
つであるメモリーは、演算処理能力やデーター記憶密度を飛躍的に高め、極めて精度良く単純な
繰り返し作業を疎外し、ムーアの法則に象徴されるように価格下落を実現させたが、それを担っ
た勤労者の賃金向上として報えたのか、言い換えれば、付加価値を高めたにも関わらず、売上げ
はそれどころか、過剰生産・過当競争時代のごとく、期待とは逆に伸びずに、むしろ、賃金の切
り下げを招いてしまった、石川啄木『一握の砂』の「はたらけど/はたらけど/猶わが生活楽に
ならざり/ぢっと手を見る」の歌のようにと。また、発光ダイオードはそれまでの白熱灯や蛍光
灯を駆逐している。現在では、大面積か演色性の弱点も克服しつつある、同様に、かってのブラ
ウン管や真空管、撮像管は、薄膜表示素子、トランジスター、固体撮像素子などに駆逐されて久
しい。近年は、既設発電装置が太陽電池である光電変換素子にあるいは燃料電池に駆逐されつつ
あるかのような展開だ。それらの特徴はすでに『デジタル革命渦論(でじたるかくめいかぶん)』
で書かれている通りである。さてここは、先を急ごう。価格下落は不可抗なのだ。したがって、
額に汗をして、頭を使い働けばはたらくほど、賃金が下がり、ジニ係数が上昇し、ローンが組め
なくなる(もっとも、それにあわせて、官僚の所得や金利等をマイナスにすればある程度救済で
きるかもしれないが)。こうして、政府がこの状態を放置することで、多くの勤労者の将来設計
が描けなくなるのは至極当然な時代なのだ。
そのあたりをもう少し解きほぐしつつ、里山の招く安心安全の世界をご紹介しよう。
逆風が強かった中国山地
山国・ニッポンでは、里山は珍しいものではない。なにしろ国土の七割ほどは山林だ。だ
がその中でも、中国山地の実情はとりわけ厳しい。「地方の山間部に元気がないのは当たり
前だ」と思うかもしれないが、中国山地の場合にはいろんな意味で特に逆風が強いのだ。こ
れについては少々解説が必要だろう。
そもそも中国山地は、前近代には日本の産業の中枢的な機能の一つを担っていた。スタジ
オジブリのアニメ映画「もののけ姫」にも描かれているが、日本刀や高品質の農具を作るた
たら製鉄の中心地だったからだ。今でも島根県安来市にある日立金属の工場では、ヤスキハ
ガネと呼ばれる世界最高品質の鋼鉄を生産し、製品は海外の有名剃刀メーカーでも使われて
いる。その工場近くの汽水湖・宍道湖へと流れ込む一級河川・斐伊川を上流へと遡っていけ
ば、スサノオノミコトがヤマタノオロチの尾から天叢雲剣を見つけたという奥出雲町にた
どり着く。斐伊川という名称自体、火の川、つまりたたらで燃える火にちなんだものといわ
れるが、この流域の土壌に豊富に含まれる砂鉄と、中国山地一円里山の木から製造され運ば
れてくる木炭が、神代から綿々と続く鉄作りの基盤となってきた。
中国山地は、準平原とも呼ばれる浸食の進んだ地形だ。標高数百メートルのもこもこした
山がどこまでも連なり、小さな谷が複雑に入り組む。雪も降るが東北や北陸のような豪雪地
ではなく、険しい中部山岳地帯や紀伊山地、四国山地、九州山地に比べれば、まだしも棚田
を造れる緩傾斜地が多い。このような地理条件から、無数の谷ごとに少数の人々が住み着い
て生活を営んできたが、やがて彼らは、たたら製鉄という大口顧客に向け、目の前にある里
山の雑木を切って大量の木炭を焼くようになった。時を経てその木炭は、日清戦争以降急速
に発展した山陽筋(瀬戸内海沿い)の造船工業地帯の、労働者の生活をも支えるようになり、
さらに関西にも販路を拡大していく。高度成長期以降に石油とガスと電気製品が普及するま
での脱出は、現金収入を生む宝の山だったのだ。だから中国山地は、他の地方の山地に比べ
ればずいぶん多くの人口を養うことができていた。
しかしエネルギー革命が木炭という現金収入の道を絶ってしまうと、もともと平地に乏し
く大規模農業に向いていない場所だけに、人口は雪崩を打って山陽筋の工業都市へと流れた。
中国山地でも特に林業専業の町という色彩の濃かった島根県益田市匹見町(旧美濃郡匹見
町)の人口を見ると、1955年には7500人を超えていたのが、2010年には5分の
1以下の1400人。和田さんの住む広島県庄原市総領町(旧甲奴郡総領町)の人口も、同
じ55年間に5000人から1600人へと3分の1以下になってしまった。北海道の炭鉱
町並みか、それ以上の著しい減少率だ。いや中国山地の里山も炭鉱町と同じく、中東産の石
油に負けた「産炭地」だったのだ。その里山で、木を資源として再評価する里山資本主義の、
小さな狼煙が上がり始めていることには、だから、格別の感慨がある。
地域振興三種の神器でも経済はまったく発展しなかった
ところで高度成長期以降の地域振興の三種の神器は、高速交通インフラの整備・工場団地
の造成・観光振興だった。産炭地としての地位を失った中国山地は、これら特効薬の恩恵に
はあずかれなかったのか? 実はそうでもない。中国山地の真ん中を貫く中国縦貫自動車道
が、大阪から真庭市などのある岡山県北部を経て、広島県北部の庄原市・三次市まで通じた
のは1978年。岡山市、広島市など瀬戸内海沿いの人口密集地域を結ぶ山陽自動車道が全
通した1997年の、20年近くも前のことだった。日本海沿いの山陰自動車道に、未だに
全通の目途が立っていないことを考えても、中国山地はたいへんな優遇を受けたといえる。
今となっては多くの人が忘れていることだが、それぞれ150万人前後の人口を抱える広
島都市圏・岡山都市圏に高速道路がなく、人ロ15万人程度の津山・真庭地域や人ロ10万
人程度の三次・庄原地域に先に高速道路が通じていた時代が、結構長く続いていたのだ。し
かもその間には80年代後半の工場新増設ブームもあったし、バブル期のリゾートブームも
あった。
中国山地へは、首都圏からも意外に近い。岡山空港は1988年、広島空港は1993年
に、それぞれ市の中心部に近い海沿いから山の中へと移転したのだが、その結果、中国山地
各地から羽田への航空アクセスが大きく改善された。たとえば広島空港から和田さんの住む
庄原市総領町へ、岡山空港から銘建工業のある真庭市勝山へは、空港でレンタカーを借りれ
ばそれぞれ一時間余りで着く。羽田から東京の多摩地域各所に行くのと同程度の時間だ。だ
がそのこと自体、地元においてさえ話題にのぼることもない。
というのも結局、地域振興の三種の神器をもってしても、中国山地の経済はまったく発展
しなかったからだ。工場誘致はある程度まで進んだが、若者の流出は止まらず、観光地とし
ても注目されないままだった。中国縦貧道の大半が間通した後の1980年と2010年を
比べても、中国山地(ここでは山陽本線より北、山陰本線より南にあるこ1市20町村を合
計)の人口は17%も減っている。中国五県全体の人口がほぼ横ばいであるのに比べれば、
退潮は明らかだ。そもそも中国五県自体、高齢化率が25%(4人に1人が65歳以上)と、
全国の地方では東北や四国と並んで高齢化が進んでいるのだが、中国山地こ1市20町村の
数字は34%(3人に1人が65歳以上)で、さらに深刻さが増す。道路の発達により一時
間台で広島や岡山や福山といった大きめの都市に出てしまえるようになった距離の近さが、
地元志向の若者をも、それら手近の町に吸い寄せてしまった面もある。
今の中国山地に残っているのは、誘致工場に働く少数の人たちと、先祖代々の家と耕地を
守る兼業農民(その多くが高齢者)。減っていく人目を相手に縮小均衡を続ける建設業・商
業・サービス業の従業者、それに広域合併で一気にリストラが進む自治体職員だ。平成の大
合併で1市6町が続合された庄原市の面積は、神奈川県(人口900万人)の半分に匹敵す
るが、住んでいるのは全部で4万人。旧9町村が合わさった真庭市も東京23区(人口90
0万人)の1・3倍の広さだが、住民は5万人弱しかいない。
最近各地で盛んな農産品のブランド化も、耕地が狭く大市場に安定供給を続けられるほど
の供給力が乏しいこともあって、余り進まない。自然景観などの観光資源も、良く言えば玄
人好み、ありていに言えば地味すぎて、体験型観光などの新たな観光産業も多くの場合根付
いていない。
逆説的だが、ここまで悪条件が揃えばこそ、「過疎を逆手にとる会」の活動が息長く続き、
全国に先駆けて木質バイオマス燃料の使用が普及する地域が生まれ、地元に残った有志の間
の見えないネットワークがどんどん拡大し始めたともいえる。マネー資本主義の恩恵を地域
に呼び込む20世紀型の装置である、高速道路だの誘致工場だのが機能しないことを、全国
に先んじて思い知らされずには済まなかったからこそ、里山資本主義が21世紀の活路であ
ることに気付く人々が最初に登場し始めたのだ。
全国どこでも真似できる庄原モデル
庄原の和田さんの同級生は、二人を除いて、旧総領町の外に出て行ってしまったという。
先祖代々の田畑を耕しつつ、町役場の仕事もしてきたが、いわゆる都市的な楽しみというよ
うなものはない場所だ。幹線道路から離れていて、通過する車すらもない。変哲もない里山
と、畑の僅かな実りと、人間のつながり以外に、遊びのネタもなかった。だがそれゆえに少
ない仲間を誘って、とことん里山を、田舎を楽しみ倒してやろうという生き方が編み出され
た。その周りに集う面々の個性が面白い、ささやかな山の実りがおいしい、木を活かした暮
らしのスタイルがうらやましい、それが理由でまた呼び寄せられる人が増えてくる。面白く
もないと思ってきた里山の価値を、都会人からさんざんに褒めちぎられる経験を重ねて、よ
うやくどこが都会から見て魅力的なのか、かんどころもわかるようになってきた。そうした
積み重ねの中から、自分たちが捨ててきた身の回りの資源を見直して、もっと有効活用しよ
うという取り組みも湧き出てきた。
和田さんも、お金を稼ぐし使っている。そもそも長年役場の仕事もしてきたし、年金も受
け取るだろう。肉も魚も服も買えば、農業用資材も買うし、車にも乗るし、電気も使う。だ
が、雑木を煙も出さずに完全燃焼させるエコストーブ(見かけはどこのガソリンスタンドで
もゴミ箱として使っているような石油缶だが)や、ピザを焼く薪窯のおかげで、使っている
燃料代は都会人よりはずいぷんと少ない。良質な水もタダだ。先祖代々の家は折々に補修が
必要だが、家賃はかかっていない。最近の猪はどんぐりも食べ放題なようで、イベリコ豚も
顔負けの味の猪鍋に化ける。仮に庄原市民全員が和田さんのような暮らしを始めたとしても、
この広さにこの人口では木も水も農地も余るほどあり続けるだろう。
和田さんは、人間幸学研究所所長を名乗り、「所長取締役」の奥様(所長より偉いと推測
される)と一緒に、元気な仲間を集めて次から次へと面白いことを仕掛けている。ネットは
使わないので、彼が仲間と何をたくらんで何を楽しんでいるのかは毎月出しているニュース
レターを購読するか、実際にオンサイトで参加しないとわからないのだが、総じて能動的で、
文句ではなく志がほとばしり、言葉だけでなく(和田さんは湧き出てくる造語も本当に面白
いのだが)動きにも満ちている。生み出されている活力を、使っているお金で割ったとする
と実に効率がいい。
和田さんを核にしたネットワークが広がる中で始まった、地元で取れた半端物の野菜を地
元の老人向け福祉施設の食材として有効活用する取り組みなどは、マネー資本主義の死角を
見事に突いている。地元農家はこれまで、マネー資本主義の中では市場価値のない半端な農
産物を捨て、地元福祉施設はこれまで、地域外の大産地から運ばれてきた食材を買って加工
していた。全国レベルで見れば効率のいいシステムかもしれないが、地域レベルで見れば外
へお金が出て行くだけの話だ。ところが捨てていた食材を地元で消費するようになれば、福
祉施設が払う食費は(少なくとも輸送費がかからない分)安くなり、しかも払った代金は地
元農家の収入となって地域に残る。農家の収入が増えるだけでなく、関係者にやる気も出る
し、無駄も減る。地域内の人のつながりも強くなる。
全国レベルで見ればマネー経済が縮小したという現象なのだが、地域レベルで見ればこれ
は、活性化以外の何物でもない。しかもこの取り組み、農家があって福祉施設があるところ
なら、つまり東京や大阪の最都心部以外であれば、全国どこでも真似できる。
日本でも進む木材利用の技術革新
真庭の中島さんを中心としたエネルギー地産地酒の取り組みも、全国レベルで見れば微々
たるものだ。そもそも中国地方は原発を止めても電力が余っている地域なので(震災以降の
関西の電力不足も、周波数が同じ中国地方からの送電で十分に回避することができた)、真
庭のペレット発電は全体から見れば重複投資に過ぎないとも言える。だが真庭という地域に
とっては、お金を払って廃棄物として引き取ってもらっていた木くずが燃料に化ける分、地
域の外の誰かに払っていた油代が節約できる。そもそもその油代は、遠く中東の産油国まで
流れていってしまうお金だったかもしれないと考えると、この行為は全国にとってもありか
たい話だ。そして地域内で生産されるペレットの流通は、これまた地域の中の関係者のつな
がりを強める。そして、ペレットという新たな用途の登場は、衰退する一方だった林業の将
来にも、かすかだが明るい光を投げかける。先進地としての視察の増加も、ささやかだが地
域を元気にする。
いま全国の観光地では、地元産食材に徹底的にこだわった料理の提供が求められるように
なって来ているが、上や水だけでなく生産に使った燃料まで地元産という農産物、調理に使
ったエネルギーまで地元産という食事には、さらに付加価値がつくかもしれない。夢は広が
っていく。
ただし注意しなければならない点がある。ペレットによる発電は、製材屑の再利用として
は十分採算に乗るものだが、新たに木を砕いて木くずにしてからペレットを製造するという
コストまではまかなえないということだ。ということでペレット発電は、今のコスト構造が
続く限り、全国で問題になっている間伐材の有効利用策にもならない。真庭に倣ってペレッ
ト発電に取り組む地域は全国に幾つかあるが、多くは補助金頼みで、自立した経済システム
としては仕上がっていない。
真庭のすごさは、地域のエネルギーのかなりの部分をまかなうことのできる量の製材屑が
出るというところにある。これは中島さんの経営する銘建工業が、不況産業の最たるもので
ある木材加工という分野において例外的に、競争力ある企業として成り立っているゆえだ。
なぜ成り立っているのか。現役世代人口の減少に伴って需要が減っているうえに外国産材
との競争にさらされている木造住宅用の住や板ではなく、センスのいい現代建築に使われる
集成材のメーカーとして技術を磨き、販路を全国に開拓してきたからだ。東京からは行きに
くい場所の例で恐縮だが、建屋はもちろんボーディングブリッジまで木造の北海道の中標津
空港、高架化を契機に木造アーチの美しいホーム屋根を持つようになった高知駅や宮崎県の
日向市駅、このあたりをご覧になったことのある方は、集成材を多用する最新の建築物の美
しさと温かみをご存知だろう。最近は、改築された小学校や新しくできた小さなホールなど
に、集成材がセンス良く使われている町も多い。
集成材は、細く切った木の板を格子状に張り合わせ大きな材木のようにしたものだ。同じ
サイズの自然木はもちろん鋼材に比べても、曲げる力に強く、何百年経っても腐食しない。
鋼材よりもはるかに軽いし、知られていないが防火性も高い。というのも多量の空気を含ん
でいて断熱性が高いので、炎にさらされても片面が焦げるだけで、もう片面は常温のまま。
だから、間に集成材の仕切りが入っている建物では火が燃え広がらないのだ。対して鋼材は、
熱をよく伝えるうえに溶けて曲がってしまいやすい。中島さんによれば、ニューヨークの貿
易センタービルも骨組みが鋼材ではなく集成材だったなら熱では溶けなかったので、ああい
う具合には崩落しなかったと言う。
このような木材利用の技術革新が、日本の多くの建築物で活かされていないのは残念だが、
逆に言えば今後の普及次第では、全国の木材産地に「真庭化」の道が開けることになる。
たまたまこの本ではこれまで、広島県庄原市と岡山県真庭市だけを取り上げた。後半では
島根県邑南町や山口県周防大島町も紹介するが、これらは大きな流れを構成する一部に過ぎ
ない。中国山地に限っても、「のがれの町」を名乗って都会人の移住を促進する鳥取県聚ぼ
町、世界遺産・石見銀山として有名になったが、世界とつながる小さな企業群が歴史的な町
みの中にひそかに立地していることでも知られる島根県大田市大森地区、全国相手に通販
を行う書店が東京から移転してきた島根県川本町など、素晴らしい事例がまだまだたくさん
ある。全国に視野を広げればなおのことだ。
ほとんどの都会人や、都会に集中する日本のマスコミが気付かないところで、静かだが確
実な変化が進行している。これに気付いていると気付いていないとでは、21世紀の日本に
生きていることを、楽しめるかどうかがまるで変わってくると言ってもよいだろう。
藻谷浩介 著『里山資本主義』
この項つづく
生垣のリフォームに蔓薔薇は届き誕生の記念樹になる
三十数年になり生垣の貝塚伊吹を部分伐採したが、美観と盗難防止を兼ね蔓薔薇を植えてみるこ
とに。イングリッシュローズ グラハム・トーマスとルージュピエールドゥロンサールを通販で
取り寄せた。それが届く直前に、彼女が今日は何の日と意味ありげに笑いながら問いかけるので、
あぁ~そうだ、きみのお誕生に記念樹を買っておいたからと言いわけする。暫くすると、チャイ
ムが、刻をおき二度鳴る。四季咲きの黄色と赤色のそれが届く。
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