芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

軍場山の田んぼ

2009年03月19日 | Weblog
春を通り越したような、陽気に誘われ、軍場山の田んぼに行って、シャベルで薄や蔓薔薇の根を掘り起こし、坊ちゃんカボチャを植える準備をした。
田んぼに生えてきた雑木を切って帰りに引きずってきた。畑掘りで汗をかき、木きりで汗をかき、それを引きずるのにまた汗をかいた。この木は、我が家の庭に、今ブロック塀で支えられ、皮一枚で立っている梅の老木を、ブロック塀を取り払ったあとに、支えるのにつかう。あと、3本くらい切らなけらばならないが、運ぶのに途中十回くらい休んでの結構な労働だった。
田んぼは、3枚ある。もう一枚あったのだが、向かいに住んでいる親戚に田んぼを耕作させていた時に、国土調査があり、実測で一枚分余ったのを、その親戚が勝手に他人に売ってしまったので、一枚分減ってしまった。親戚だからと気を許すとこういうことになることを知った。他人のほうが信頼できるのかもしれない。
仙台の長谷川君が、久美子夫人のリュウマチを治す為に、人参のジュースを毎日飲ませているといって、安い人参を求めにやって来た。丁度、ムカデ屋で、10キロ480円のを二袋売っていたので、買っておいてやったら、取りにきて、自分でも畠をやりたいというから。軍場山の田んぼを見せて、好きなだけやれば好いと一枚提供することにした。私には、3枚も畠を耕す能力はないから、せいぜい一枚あれば好い。軍場山の田んぼは、山を切り開いて開田したものだが、その後、米価が下がり、農政が減反政策に変わったので、親戚の耕作をやめさせ、減反したままで、荒れ放題である。この数十年その畦に植えてある柿を採りに行くくらいしか利用していなかった。しかし、佐藤元大工さんの勧めでぼっちゃんカボチャを植えることにしたのだ。